明太子の日
「明太子の日」は1914年のこの日の関門日日新聞で、日本で初めて「明太子」という名称が新聞で使われたことが由来で、山口県下関市の明太子専門業者・前田海産が制定しました。
また、この日とは別に1月10日も「明太子の日」になっています。
辛子明太子の歴史
“辛子明太子”とはスケトウダラの卵巣(たらこ)を唐辛子などの調味液で漬け込んだものです。
韓国語でスケトウダラを“明太(ミョンテ)”と呼ぶことに由来するのですが、朝鮮語においてはたらこのことを“明卵”と呼ぶため、明太子という表現は日本独自のものになります。
明太子とは“スケトウダラの子”という意味であり、本来は“たらこ”を示す言葉として使いますが、下関や博多をはじめとする西日本の一部地域では唐辛子を使わないいわゆる“たらこ”を示す言葉として辛子明太子と使い分けられています。
今日では“明太子”を辛子明太子を指す言葉として用いる人が多く、さらには“めんたい”と略されて九州博多の代名詞としても用いられることもあるようです。
これは元々たらこを示す言葉としての“明太子”が使われない地域に、お土産や特産品として“辛子明太子”がもたらされ、やがてその略称としての“明太子”が全国的に広がったためと考えられます。
辛子明太子の歴史は辛子明太子業者や関係者に伝わる諸説が複数存在するようです。
日露戦争直後から太平洋戦争中にかけて、当時の鉄道省は下関と当時日本領であった朝鮮の釜山との間に関釜連絡船を運航しており、また中国との定期連絡船も存在しスケトウダラ(明太魚)の辛子漬け(明太卵漬け)を運んでいました。
朝鮮側の連絡船では釜山を経由してこの明太の卵巣の辛子漬けが下関へ輸入され、この当時の朝鮮の明卵漬は唐辛子やニンニクで漬け込んだ現代でいうキムチに近いもので“まぶし型の明太子”と呼ばれてます。
その後ふくやの創始者である川原俊夫が若いころに釜山で食べた明卵漬の記憶を基に“漬け込み型の辛子明太子”を開発しました。
まぶして作る辛子明太子は徐々に減っていき、調味液漬けの辛子明太子が主流となります。
そしてふくやの後を追って、1960年代には多くの同業者が設立されました。
1975年に山陽新幹線が博多駅まで繋がり、東京博多開全通後に設立された福さ屋が新幹線駅や東京の三越百貨店等へ販路を築き、辛子明太子は全国的に知れ渡るようになったのです。
博多名産・辛子明太子のほうが全国へ波及したために下関のまぶし製法よりも博多で盛んであった漬け込み製法が主流となり、現在でも量販向けで広く流通していますが、まぶし製法も少数ながら生産されており市場向けの高級品として流通し、棲み分けがなされています。
1980年代には土産物の販売ルート以外にも、百貨店・量販店で広く販売されるようになり、全国でおにぎり・パスタの具として広く利用・販売されるようになり、2007年にはおにぎりなどの加工用辛子明太子の出荷量がついに土産用の辛子明太子の出荷量を逆転するまで成長します。
明太子は副菜としてそのまま、もしくは好みにより軽く焼いて食卓に供し、また酒肴やおにぎり、お茶漬けの具材としても好まれ、NTTドコモ”みんなの声”における”好きなごはんのお供ランキング”では”辛子明太子”が一位でした。
さらにスパゲッティなどの洋食や、フランスパンに塗られたりとその応用は幅広いものとなっていますので、ぜひ様々な料理に採用してみてはいかがでしょうか。
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