“獅子舞”とは

獅子舞とは、東アジアおよび東南アジアでみられる伝統芸能の一つで、祭囃子にあわせて獅子が舞い踊るものです。
1世紀ごろの中国(後漢)が発祥とされ、日本には奈良時代ごろの唐王朝の時代に中国から伝わったとされています。
16世紀初頭、伊勢国(三重県)で飢饉や疫病除けに獅子頭を作り正月に獅子舞を舞ったのが発祥と言われ、その後17世紀に伊勢より江戸へ上り、厄を祓い世を祝う縁起ものとして江戸に定着、祝い事や祭礼で獅子舞が行われるようになりました。
獅子舞が日本の各地に急速に広まったのは、室町時代から江戸時代初期に伊勢大神楽の伊勢派(現代の伊勢大神楽講社)や熱田派(現代の江戸大神楽、水戸大神楽)が獅子舞を舞いながら全国を業脚し、厄祓いをしたのがきっかけであると言われています。
日本の獅子舞は全土で行われておりバリエーションは多岐に渡り、日本で最も数が多い民俗芸能といわれており、2000年代の調査では全国に約8000確認されているようです。
(引用:ウィキペディア)

飯塚市内の獅子舞一覧

(各地区の詳細は“飯塚観光協会”より引用しています)

仁保(にほ)の獅子舞
開催場所飯塚市 貴船神社
開催日6月最終日曜日
アクセス西鉄バス仁保四ツ角バス停または仁保バス停下車
徒歩5~10分
由来など仁保の獅子舞の始まりは1570年代後半(天正年間)。
干ばつで水田に亀裂が走り、住民が仁保地区の氏神である貴船神社に、雨乞い祈願の獅子舞を奉納したところ、降雨があったという。
以来、五穀豊穣と平安祈願のため続けられている。
活動の歴史400年以上の長い歴史のを持ち、1度も途絶えたことがない。
若者が出兵した第二次大戦中も、残った人々で少数ながら守り抜いた。
子供たちも参加して、古老から若者へ確実に受け継がれ、地区の人々の誇りとなっている。
目的五穀豊穣
家内安全
特徴「夫婦獅子」が繰り広げるユニークな舞がみられる。
「暴れ獅子」ともいわれ動きが激しい。

 

鹿毛馬(かけのうま)の獅子舞
開催場所飯塚市 鹿毛馬区 厳島神社
開催日6月最終日曜日
アクセス・西鉄高速バス頴田より徒歩30分
・西鉄バス頴田町役場前より徒歩30分
由来など鹿毛馬の獅子舞は、遠賀川流域に広まった旧筑穂町大分の獅子舞の影響を受け、江戸時代末期に、鹿毛馬にも伝わったといわれている。
旧頴田町の中では最も早い6月末に、実施される。
活動の歴史大正時代中頃に1~2年休止されたが、第二次大戦中も絶えることなく続けられている。
目的五穀豊穣
疫病退散
家内安全
特徴演目は、「ろうど(本楽・半楽)」「ひゃーほ」「馬場入り」の3種類。
神社での神事の後各家庭を回り舞を行う。
「ろうど」は雌雄が並んで仲むつまじい所作の3分程の舞で、各家々で行われる。
「ひゃーほ」は5分程の舞で、向かい合ったり交差しながら激しく舞う、熟練者のみ行う。
「馬場入り」は地を這うように、ゆっくり舞う。
20分かけて神社の階段を舞い上がる。

 

鯰田(なまずた)の獅子舞
開催場所飯塚市 皇祖神社
開催日6月最終日曜日
7月第1日曜日
アクセスJR筑豊本線鯰田駅より車で5分
由来など鯰田の氏神、皇祖神社は1509(永正5)年御笠郡寶満宮の御尊神を勧請しており、主御祭神に玉依姫命を祭祀する。
1869(明治2)年までは寶満宮と称していたが、神功皇后と応神天皇を合祀しているところから同年に皇祖神社と改称した。
そこに伝わる獅子舞は、京都・岩清水八幡宮から旧筑穂町の大分(だいぶ)八幡に伝わったものが伝播したと考えられており、演舞的要素が強い獅子舞である。
有光家(宮司)に伝わる昔の村の諸祭記録文書によれば、「1745(延享2)年7月7日定日、獅子祈祷」と明記されており、それ以前から行われていたと考えられ、鯰田地区に古くから伝わる夏越しの祭祀として伝えられてきた。
獅子は最初に大行事神社(牛馬を守る神様)と疫神社(地域では福井神社と呼び、村の入口にあって疫病の進入を防ぐ神様)を訪れ、そこで舞う。
その後、各家庭を舞って回る。
活動の歴史第二次大戦前は4町内で獅子舞い(獅子頭は1対で週を変えて回す)をしていたが、戦時中は中断。
戦後は6町内で回し一時盛んになっていった。
しかし、近年若手の減少で舞い手も少なくなり、2~3町内で舞うようになった。
現在は浦田町、上町が中心となり、獅子頭が1対のため、日を変えてそれぞれの町内で舞っている。
昭和37年に獅子舞をもっと身近に、また、郷土芸能としての認識を深めるために「各町内対抗獅子舞競演大会」を開いたが、3年間で中止となった。
現在、浦田町に「鯰田浦田獅子の会」があり、伝統ある郷土芸能として末永く、子々孫々に至るまでと、伝承に力を注いでいる。
獅子舞当日も、先輩の舞っている所作を見ながら練習をする風景が見られる。
目的五穀豊穣
無病息災
家内安全
商売繁昌
特徴雌雄の愛情の変化を表している。
寄り添い、共に喜び、慈しむ意味が舞でしっかり伝わってくる。
特に、雌獅子が尻尾を立て小気味よく振る仕草は雄獅子を挑発しているようで愛敬がある。
昭和の中頃までは、獅子の後ろには子供が入り、獅子の胴の後ろが垂れて子供が踏まない様に尻を絡げたことから、「尻はぐり」と呼ばれていた。
今でも時折子供が後ろに入ることがある。
戸別獅子祈祷では、「打ち込み」といって、清道旗・鉦・猿田彦面・獅子が声を上げて玄関に駆け込み、掛け声・鉦・獅子鳴らし(歯をカタカタと合わせる)を独特の調子で行う。
その後に玄関先で、ハンニワまたはホンニワを舞い納める。
ホンニワはハンニワの倍舞う。

 

東佐与(ひがしさよ)の獅子舞
開催場所飯塚市 東佐与地区 貴船神社
開催日7月第1日曜日
アクセス西鉄バス頴田より徒歩20分
由来など旧頴田町の獅子舞は、遠賀川流域で広まった旧筑穂町大分の獅子舞の流れを受けており、東佐与地区でも1750年頃(江戸時代中期)に始まったといわれている。
第二次大戦前までは佐与地区全体で祭りを行っていたが、その後東西に分かれて行うようになった。
活動の歴史戦時中は一時中断していたともいうが、戦後は毎年行われている。
青年団が中心となっていたが、平成元年に保存会を発足し、現在も活動が行われている。
目的五穀豊穣
悪魔退散
家内安全
特徴祭り当日は獅子舞を奉じながら民家、史跡を巡り、午後には神相撲・岩戸開きを行う。
獅子舞は二人立ちである。演目は「前がく」「後がく」「道がく」「馬場入り・宮移り」からなる。
軽快で動きの速い「前がく」と「後がく」に比べ、「馬場入り」は重厚でゆっくりとした舞である。
神相撲は、農民や女性(妊婦)に扮したり、獅子方の衣装にたすきを掛けた男性5名の舞。
現在、この神相撲と岩戸開きが行われるのは、旧頴田町の中でも東・西佐与地区だけである。

 

西佐与(にしさよ)の獅子舞
開催場所飯塚市 西佐与地区 天降八所神社
開催日7月第1日曜日
アクセス西鉄バス頴田より徒歩30分
由来など西佐与の獅子舞は集落全体と各戸の安全を祈願して、天降八所神社などに奉納される。
天降八所神社の創立や由来など詳細は不明であるが、神殿は1699(元禄12)年に再建されたものといわれる。
頴田の獅子舞は、遠賀川流域に広まった大分の獅子舞の流れをくんでおり、西佐与地区も同様で、約250年の歴史があるといわれる。
活動の歴史第二次大戦前は東佐与と西佐与が天降八所宮で一緒に獅子舞を競演していた。
その後、東西に分かれて行われている。
戦中も休止することなく、現在まで継続している。
目的五穀豊穣
無病息災
家内安全
子孫繁栄
特徴神事の後、西佐与地区の各家々を回り舞を行う。
昼食時は公民館で、神相撲(かんずもう)と神楽の岩戸開きを行う。
神相撲は農民や女性(妊婦)に扮したり、獅子方の衣装にたすきを掛けた男性5名の舞で、独特の祭典である。

 

下勢田(しもせいた)の獅子舞
開催場所飯塚市 下勢田地区 貴船神社
開催日7月第1日曜日
アクセス西鉄バス頴田より徒歩20分
由来など頴田地区の獅子舞は地区にある5つの神社でそれぞれ行われる。
下勢田の獅子舞の由来などは定かではないが、明治29年の獅子舞切銭帳があり、残される最古の獅子頭に1888(明治21)年の銘が記されることなどから、少なくとも100年以上の歴史があると推定される。
五穀豊穣、無病息災を祈念して、大太鼓・小太鼓と共に雌雄一対の獅子が各家々を回り舞いを行う。
嘉穂地区の獅子舞は大分八幡宮(旧筑穂町)獅子舞の流れをくんでいるが、下勢田の獅子舞は舞い方や、曲が異なるなど、違う流れではないかと考えられている。
活動の歴史山笠が出ていた頃もあり、勢田の貴船神社社殿の下に山笠のかき棒が現在も残される。
昭和初期には、小竹町南良津に獅子舞を教えたことがあるといわれる。
目的無病息災
五穀豊穣
特徴演目は「前楽」、「道楽」、「かまくら」からなる。
この獅子舞も西日本に多い「二人立ち」で、二頭が対になって舞う。
雄獅子と雌獅子がぶつかり合う激しい舞。
特に「かまくら」は動きが大きくリズミカルに舞う。

 

庄内元吉(しょうないもとよし)獅子舞
開催場所飯塚市 天降神社 元吉区内
開催日7月第1日曜日
アクセス西鉄バス仁保バス停下車、徒歩20分
由来など庄内町の元吉獅子舞は、1851(嘉永4)年に始まったと伝えられる。
7月の祭り当日、庄内川でお汐井取りを行い、天降神社に獅子舞を奉納する。
その後、氏子の家々を回り、五穀豊穣、無病息災を願って獅子舞を行う。
活動の歴史第二次大戦中は一時中断したが、戦後再開されて今日に至る。
目的五穀豊穣
特徴獅子舞の所作には、中間の速さの「ナカノキリ」、素早く舞う「ババイリ」、ゆっくりと舞う「ミヤウツリ」(神社で行われる)の3種で、演目ごとに緩急がある。

 

上相田(かみあいだ)の獅子舞
開催場所飯塚市 上相田宝満宮
開催日7月10~11日
アクセス・JR新飯塚駅より車で15分
・国道201号線相田入口交差点より約5km
由来など宝満宮は大和朝廷前期の神功皇后が笠置山登山を記念して祭祀されたというが確かではなく、その後、筑紫の宝満社「御祭神玉依姫命」の勧請に依り、創建されたと伝えられている。
その後、盛衰を重ね、現在のものは昭和12年に再建された。
獅子舞は江戸時代末期の天保年間(1830~44年)に始まったと伝えられている。
活動の歴史獅子舞は戦前も継続しており、第二次大戦中は休止、昭和22年に復活し、昭和31年まで開催していたが、昭和32年~54年までは再休止し、昭和55年に青年団により復活し、今日に至る。
目的五穀豊穣
家内安全
無病息災
特徴舞は大分八幡宮の流れをくみ、「イリ」「ナカ」「ノリ」の3演目である。

 

中(なか)の獅子舞
開催場所飯塚市 撃鼓神社
開催日7月第2日曜日
アクセス・JR筑豊本線新飯塚駅から車で15分
・国道200号線幸袋交差点から車で5分
由来など撃鼓神社境内にある祇園社(祭神はスサノオノミコト)の神事として行われてきた。
神社の記録では1729(享保10)年に獅子頭一対が奉納された記事があることから、約270年前から舞われていたと思われる。
飯塚市内の獅子舞の多くが旧筑穂町の大分八幡宮の流れをくんでいるが、中一獅子舞は桂川町の流れを受け継いでいるといわれる。
活動の歴史祭りは、以前は毎年7月15日の定日に行っていたが、現在は7月中旬の日曜日に実施している。
昭和60年頃に再興したが、再興前15年間は獅子頭破損で中断した。
ただしその間も祇園社の行事として「戸別祓い」の祈祷は神職によって行われてきた。
男社会の獅子舞行事に、近年子供(女児を含む)が輪になって踊る「廻り楽」が始まり、女の子が縦笛も吹くようになっている。
現在は中一獅子保存会を組織して活動しており、平成12年頃に幸袋中学校の学園祭で獅子舞を学生に教えるなど継承には力を入れている。
20029月城島町の大獅子パレード2002に特別参加した。
目的悪疫退散
五穀豊穣
家内安全
子孫繁栄
特徴獅子舞の演目は、「神殿入り」「入破」「中ン切」「本典」の4演目である。
神職が各家庭のお祓で回るのと一緒に獅子も回り(獅子御祈祷という)、巡行中の町内では演目の「本典(サッサ)」を中心に舞う。
「本典」は他の獅子舞でいう「急」に当たる。
また「路次楽」という道中楽を行う。

 

相田(あいだ)の獅子舞
開催場所飯塚市 相田八幡宮
開催日7月第2日曜日
アクセス国道201号線相田入口信号より相田地区へ入り、約2kmで相田八幡宮
由来など相田八幡宮は大和朝廷前期の仲哀天皇の時代に創建され、その後盛衰を重ねているが、詳細は不明である。現在の社殿は戦前に再建されたものである。
獅子舞は江戸時代末期の天保年間(1830~1844)に始まったと伝えられている。
活動の歴史第二次大戦中は休止。
昭和22年に復活し、昭和30年まで継続していたが、昭和31年~36年まで再休止、昭和37年に再復活し、今日に至る。
目的五穀豊穣
家内安全
無病息災
特徴イリヤ、ナカ、ノリの3演目があり、上相田とほぼ同じ舞いである。

 

伊川(いかわ)の獅子舞
開催場所飯塚市 伊川八幡宮
開催日7月15日以前の日曜日
アクセスJR新飯塚駅より車で15分
国道201号線伊川交差点より約1km
由来など獅子舞が行われる伊川八幡宮は、鎌倉時代に建てられたといわれている。
獅子舞がいつ頃から行われているか定かではないが、大分八幡宮(旧筑穂町)の獅子舞の流れをくんでいることから、他の地域への伝承時期と合わせて、江戸時代中期頃に始まったものと推察される。
活動の歴史第二次大戦中、一度中断したものの、昭和22年頃に復活し現在に至る。
目的豊作祈願
厄除け
特徴大分獅子舞の流れをくむ伊川の獅子舞は、「イリヤ」「ナカ」「キリ」の3種の舞が行われる。
「イリヤ」「ナカ」は、男女の仲睦まじい様を、「キリ」は恋に狂う様を表しているといわれている。

 

大日寺(だいにちじ)の獅子舞
開催場所飯塚市 大日寺八幡宮
開催日7月15日
アクセスJR筑豊本線新飯塚駅より車で20分
国道201号線蓮台寺信号より大日寺方面に入り、大日寺信号すぐ
由来など大日寺の創建は673(白鳳元)年といわれているが定かではない。
社史によると1626(宝永6)年に神殿が建立されている。
獅子舞は江戸時代中期に大分八幡宮の流れから始まったと伝承されている。
活動の歴史明治、大正、昭和はほぼ開催しているが、平成7~9年は楽打ち奏者不足のため休止。
平成10年は開催し、平成11~14年は再休止、平成15年は開催。
最近は、特に若年層が少なくなり、継承が危ぶまれている。
目的五穀豊穣
家内安全
厄除け
特徴獅子舞は、「どう巡り」「道楽」「ハナ」「ナカ」「ノリ」の5種を舞う。

 

乙丸(おとまる)の獅子舞
開催場所飯塚市 乙丸八幡神社
開催日7月15日または直前の土曜日
アクセス・JR筑豊本線新飯塚駅より車で15分
・国道201号線東伊川交差点より約1kmで乙丸交差点すぐで乙丸八幡神社
由来など乙丸八幡神社(疫神社)の夏の祇園祭の一環として行われている。
同神社は別名疫神社と呼ばれ、応仁年間(1467~1469)に伊川八幡神社より分離、現在地に建立された。
末社として、愛宕、貴船、五穀の3社を併置している。
毎年12月の大祭には、嘉飯山地区の多くの人々が参拝に訪れている。
活動の歴史獅子舞は延喜年間(901~922)頃、唐から遣唐使によって日本に伝えられたといわれている。
享保年間(1716~1736)に京都石清水八幡宮から全国の主要神社へと普及し、筑前国では大分八幡宮に伝わったといわれている。
また天明(1781~1789)・天保(1830~1844)の大飢饉が起こり多くの人々が餓死、あるいは疫病のため亡くなった。
この頃から五穀豊穣(雨乞い)と悪疫祓いを祈願するため各地で普及した。
当地の獅子舞は第二次大戦後さびれたが、最近氏子の協力により徐々に昔に戻りつつある。
目的五穀豊穣
悪疫祓い
特徴当地方の獅子舞は大分八幡宮の獅子舞を源流としているものが多く、この獅子舞もほぼ同じ形式である。
獅子舞の曲は道行き、「イリハ」「ナカ」「キリ」神殿入りの5曲である。
お汐井(塩)で身を清め、猿の面(猿田彦大神)を鉾に付け、シンボル旗である「清道」、ご神燈、幟、獅子、笛、太鼓の順で村中を練り歩く。

 

横田(よこた)の獅子舞
開催場所飯塚市 弥栄神社
開催日7月15日に最も近い日曜日
アクセス・国道201号線西川津信号より横田地区へ入り、約300mで弥栄神社
・西鉄バス飯塚農協前下車徒歩10分
由来など獅子舞が奉納される弥栄神社は、江戸時代中期の宝暦年間(1751~1764)に建立されたといわれている。
獅子舞の由来との関係は不明であるが、横田の獅子舞は、大分の獅子舞(旧筑穂町)の流れをくんでいることから、200年以上の歴史があると地元では推察されている。
活動の歴史獅子舞は、開始されて以降、継続して行われていたが、昭和35~36年頃に一旦休止した。
約20年後の、昭和58年に今の獅子舞保存会の前身が作られ復活して現在に至る。
目的厄除け
暑気払い
特徴舞は、「イリハ」「ナカンギリ」「ノリ」の3種類である。

 

建花寺(けんげいじ)の獅子舞
開催場所飯塚市 桂郷(けいごう)神社
開催日7月15日に近い日曜日
アクセス国道201号線を蓮台寺入口信号より建花寺地区へ入り、約1.5kmで桂郷神社
由来など桂郷神社の名は、建花寺地区西側に樹齢1200年を超える天然記念物の桂の木にちなむといわれている。
奉納される獅子舞は、1732(享保17)年のイナゴによる近畿以西の大飢饉の際、疫病退散と五穀豊穣を祈願して奉納したのが始まりと伝えられる。
舞いは旧筑穂町の大分八幡宮から伝わったといわれるが、地元では建花寺の檀家住民が、京都に習得しに行ったとも伝えられている。
演目は大分の獅子舞に似ているが、舞いの所作には独自のものがある。
活動の歴史昭和58年頃までは建花寺地区の本村、古野の2区で舞いをしていたが、後に古野地区の獅子舞がなくなり、本村の獅子舞が残った。
その後、本村の獅子舞は、7月15日の祇園祭では本村地区で、9月15日の放生会では古野地区で獅子舞を演じていたが、現在は祇園祭の同じ日に古野地区を訪ね舞うようになった。
本村も昭和中期に20年ほど途絶えた時期があるが、昭和43年頃、青年団の手により復活した。
その頃は村主体の行事であったが、昭和58年頃保存会が発足。
現在有志会中心で活動している。
目的悪疫退散
五穀豊穣
特徴獅子は有志会が8名で交代で舞う。
演目の「イリヤ」「ナカノキリ」は、雌雄の獅子が寄り添い、最初は縦、横の流れ足と呼ばれる足運び動作を行い、次に左右の足を捻る「ねじり足」も入れてゆっくり舞う。
「ノリ」では、小太鼓の調子に合わせ軽やかに、また激しく、対立するように、所狭しと舞う。
打ち込みも(獅子を鳴らす)増えて、終わりは雌雄向い合って打ち込み舞いを終わる。
大分系といわれるが、独自の舞い姿を持つ。
獅子の後は胴布を直接被らず、アオリをいれ獅子の動きを助ける。

 

上三緒(かみみお)の獅子舞
開催場所飯塚市 白山神社
開催日7月の第2日曜日もしくは第3日曜日
アクセス上三緒団地口バス停下車すぐ
由来など白山神社は江戸時代中期から当地に鎮座し、1900(明治33)年に一度焼失したものの、1903(明治36)年に再建された。
獅子舞の由来は定かでないが、旧庄内町の綱分八幡宮から習い覚えたとされ、神社再建の頃には行われていたといわれている。
活動の歴史第二次大戦中は数年中断していたが、戦後は毎年行われている。
昭和22~24年の獅子舞が最も盛んだった頃の舞い手を主軸に、昭和47年、保存会が発足し現在に至っている。
目的五穀豊穣
家内安全
病魔退散
特徴舞には軽快な動きの「前庭」、雌雄の情交を表す荒々しい「狂」とがあり、神社境内及び上三緒地区の各所で舞われる。
また、獅子が神社に帰還する際には長い参道を上りながら舞うものもあり、これは「神殿入り」と呼ばれている。

 

柳橋(やなぎばし)の獅子舞
開催場所飯塚市 五穀神社
開催日夏休みに入って最初の土曜日
アクセス・JRバス幸袋中バス停より徒歩30分
・JR筑豊本線新飯塚駅より車で15分
由来など五穀神社の由来は定かではないが、大凶作の年に時の藩主が当時の庄屋に命じ五穀を祭るよう指示を出したというが、その時期は定かではない。
獅子舞については、1730(享保15)年の撃鼓神社の古文書に五穀神社に獅子舞を奉納したという記述がある。
活動の歴史獅子は神輿の後をついて回っていたといわれ、古くは、中、庄司、柳橋、津島・吉北の5地区を舞っていた。
昭和57年の大洪水でも宮司を舟に乗せ、区を回ったことがあり、獅子は水に浸かっても進み、舞を中断した記憶はないという。
郷土の大事な年中行事としての位置づけが強い。
第二次大戦後一時期人手不足もあって、獅子舞は神社のみとし、各戸では獅子をささげるだけの時期もあった(柳橋の獅子は口は開かない)。
現在、子供から少年、青年、壮年、かつての経験者の序列がしっかりした中で、獅子舞に関係する人は「獅子若」と呼ばれ、伝統が引き継がれている。
祭りでは、獅子のお休み処が各戸持ち回りで定められ、獅子頭は家に飾られ接待がある。
獅子が回ると「花」とよばれる寄進があり、大声で披露され、拍手が起こる。
目的五穀豊穣
無病息災
悪疫退散
特徴旧筑穂町大分八幡から伝わったといわれており、三段「デハ」「ナカノキリ」「ノリ」を全て舞う事を「本庭」と呼んでいる。
各家庭を回るときは、「本庭」約15分と「ノリ」3分を随時舞い分ける。
「デハ」は序に当たり仕草はゆっくりしているが、「ナカノキリ」で動きが速くなり、「ノリ」では、激しく舞う。雄獅子・雌獅子の感情を表すといわれる。
「本庭」の場合は続けて舞われるが、他所の獅子舞のように途中でいったん止めてからの交代ではなく、舞いながら素早く人が入れ替わるのは他に例がない。
獅子の尻に子供が入る、途中で交代するので10名以上になる。

 

立岩(たていわ)の獅子舞
開催場所飯塚市 熊野神社
開催日10月10日
アクセスJR新飯塚駅より徒歩10分
由来など江戸時代中期より大分八幡宮の獅子舞の流れをくんで始まったとされるが、詳細は不明である。
活動の歴史明治、大正、昭和と続けられてきたが、第二次大戦中は若者不在のため中断。戦後再開されたが、昭和30年代後半に再び中断し、以後10年ほど獅子舞が舞われることはなかった。
昭和49年、地元有志の呼びかけで立岩獅子舞同好会が発足し、以後後継者の育成に努めている。
近年は九州工業大学の交換留学生の参加や高校生の参加がみられる。
目的五穀豊穣
無病息災
特徴ゆっくりとした調子で優雅に踊る。

 

津原(つはら)おくんち獅子舞
開催場所飯塚市 老松神社
開催日10月第2土曜日
アクセス西鉄バス津原バス停より徒歩5分
由来など諸説あるが、起源は定かではない。
三番叟は、疫病が流行したため始められたといわれ、津原地区の家が三軒になるまで止めないという万年願として伝えられている。
獅子舞は大分八幡宮(旧筑穂町)から習ったともいわれるが、杖楽が伴なうことや獅子舞の型が大分のものと異なることなど、伝承経路は必ずしも定かではない。
活動の歴史第二次大戦前までは雄獅子・雌獅子・杖楽・三番叟の各役を津原地区の家に振り分け、世襲制で代々継承していたが、戦後は自由に選択できるようになった。
戦時中も祭り自体は行われていたが、獅子頭で各家を祓うのみで、舞そのものは舞われなかったといわれる。
かつて祭りの中心だった青年団は、時代の流れで解散し、現在は保存会が中心となって催行されている。
目的無病息災
五穀豊穣
特徴三番叟は男児1名の舞であり、四方(東西南北)の神に祈願し、場を清める舞。
口上役がつく。小学2年生~4年生まで3年間は同じ子供が演じることは特徴である。
杖楽は「馬場開き」「馬場塞ぎ」「先杖」「親杖」があり、馬場開き・馬場塞ぎは神殿前と座元宅のみで行う。
子供の太鼓打は「廻り打ち」とも呼ばれ、太鼓を順番に打っていく。
獅子舞には「ヒヤ」「ナカ」「ノリ」の3種あり、雄雌の獅子が出会い、情交を深め、婚姻するまでを表現している。
雄雌二匹の獅子が、太鼓、小太鼓、鉦、笛の囃子に合わせて舞う。

 

忠隈宝満宮(ただくまほうまんぐう)獅子舞
開催場所飯塚市 忠隈宝満宮(ただくまほうまんぐう)
開催日10月第2土曜日・日曜日
アクセス西鉄バス忠隈バス停より徒歩10分
由来など獅子舞の起源は不明だが、第二次大戦前から農家を中心に、五穀豊穣を祈念して、忠隈宝満宮秋の祭典で奉納していたといわれている。
大分八幡宮(旧筑穂町)の獅子舞の流れをくんでいる。
活動の歴史第二次大戦中は休止。
昭和29年頃、当時の長老の指導で復活したが、2年程で中止された。
昭和50年に、宮総代会で獅子舞再興の話が持ち上がり準備に入る。
昭和51年からは昔の例にならい、20ヶ所程で演舞していたが、昭和53年より忠隈地区全域で舞うようになった。
平成10年頃から、小学校5年生~中学生による子獅子方が加わった。
目的五穀豊穣
郷土芸能保存
特徴大人獅子一対と子供獅子一対が交代で、重厚に舞う。

 

楽市(らくいち)獅子舞
開催場所飯塚市 天満神社
開催日10月第2土曜日・日曜日
アクセス西鉄バス新道バス停より徒歩5分
由来など楽市の獅子舞は大分八幡宮(旧筑穂町)の獅子舞の流れをくんでいる、椿八幡宮(旧穂波町)から獅子舞を教わったと伝えられていることから、200年以上の歴史を持つものと推察されるが、詳細は定かではない。
地元の話によると、昭和初期にはお宮と4~5軒の家で舞われていたといわれる。
活動の歴史獅子舞は第二次大戦中に休止し、昭和26年に復活したが、昭和35年~49年は再び休止。
昭和50年に楽市獅子保存会が作られ、以後は継続して行われている。
氏子の家では「イリ」と「ノリ」を、神社では「イリ」「ナカ」「ノリ」を舞う。
昔、楽市に獅子舞を伝授した人の生家と、最後に舞う氏子の家では「神殿入り」が行われる。
目的五穀豊穣
厄除祈願
特徴「イリ」と「ノリ」は雌雄の獅子が横に並んだ様子から、仲睦まじい様を表現している舞。
「ノリ」は雌雄の獅子が対峙して激しい舞が演じられる。
「神殿入り」は、雌雄の獅子が同時に駆け出し、ほろを獅子頭に納めるまでの時間が競われる。

 

椋本(むくもと)の獅子舞
開催場所飯塚市 宗高天満宮
開催日10月第2土曜日・日曜日
アクセス西鉄バス椋本バス停より徒歩10分
由来など椋本の獅子舞は、大分八幡宮(旧筑穂町)の獅子舞から伝わったといわれている。
大分八幡宮の獅子舞は、1724(享保9)年に、京都男山の石清水八幡宮から習得し大分八幡宮の放生会に奉納したのが始まりといわれており、椋本の獅子舞もその頃から始まったと考えられている。
活動の歴史第二次大戦中は中断されており、戦後しばらくは開催されていた。
しかし、昭和33年から約20年間は、青年の不足により祭典のみが行われ、獅子舞は中断されていた。
昭和53年に復活した際に、保存会が発足した。
目的五穀豊穣
地域交流
特徴重い獅子頭を使用している割には、激しい舞といわれる。
舞は、ヒリヤ・ナカンキリ・ノリの3種からなり、「ホンニワ」と呼ばれる。
この全てを舞うのは昔ながらの家のみである。
市営住宅等では、1種か2種が舞われ「キリマワシ」という。

 

安恒(やすつね)獅子舞
開催場所飯塚市 天満神社 天神 観音堂
開催日10月第2土曜日・日曜日
アクセス西鉄バス安恒・上安恒バス停より徒歩5分
由来など大分八幡宮(旧筑穂町)の獅子舞を伝えたものといわれている。
1724(享保9)年に、京都男山の岩清水八幡宮の獅子舞を習得したのが大分の獅子舞の始まりだといわれ、安恒獅子舞もほぼ同時期に始まったと考えられている。
活動の歴史第二次大戦中は一時中断したが、戦後すぐに復活し現在に至る。
代々、安恒地域の住民のほとんどが参加しており、練習を含め、結束を強める重要な場と考えられてきた。
目的かつてはけがれを祓う意味
最近は五穀豊穣と家内安全
特徴地元の話によると、椿・弁分・楽市・安恒の4地域の中では、椿八幡に奉納されるものが一番重い獅子頭であることから、重厚な舞が特徴である。
舞は「ヒヤ(ハナノキリ)」(序)、「ナカ(ナカノキリ)」(破)、「ノリ」(急)の3種(3庭)からなり、総称して「本庭」といわれる。
雄獅子1頭と雌獅子1頭が舞う。

 

堀池(ほりいけ)の獅子舞
開催場所飯塚市 貴布祢神社
開催日10月第2土曜日・日曜日
アクセス福北ゆたか線飯塚駅下車徒歩15分
由来など堀池の獅子舞は、古老の話によると、江戸時代から舞われていたという。
旧穂波町の椿八幡宮の獅子舞に習い、堀池地区でも行われるようになったとされるが、詳細は不明である。
かつては椿八幡宮まで出向いて奉納されていたもので、現在は、椿八幡宮の方向に向けて奉納することで、その名残を残している。
活動の歴史第二次大戦中は自粛し、戦後すぐに再開したが、人手不足により昭和47年~50年まで一時中断し、昭和51年に獅子舞の再興を願う地元有志により貴船(貴布祢)宮保存会が結成され、現在に至る。
目的五穀豊穣
子孫繁栄
特徴太鼓、小太鼓、鉦、笛の囃子に合わせて舞う。
小太鼓打の軽妙なリズムに合わせて、子供たちが叩く大太鼓は「回り打ち」と呼ばれ、順番に打っていく。
雌雄一対の獅子舞は、多くの子供の楽方を引き連れて堀池地区を練り歩き、迎える家々から手厚い接待を受ける。
全ての獅子舞を終え、獅子頭を納める前に行う「神殿入りの儀式」は、全ての照明を消し神殿を3周する。

 

椿(つばき)のおくんち獅子舞
開催場所飯塚市 椿八幡宮
開催日10月第2土曜日・日曜日
由来など椿の獅子舞の起源は、定かではない。
石清水八幡宮(京都)より習得した、大分八幡宮の流れをくんでいる。
大分の獅子舞は、1724(享保9)年に大分八幡宮の方生会で奉納されたことが始まりといわれていることなどから推察して、200年以上の歴史があると考えられている。
活動の歴史かつて、青年と子供たちによって奉納が行われていたが、昭和56年頃には椿獅子舞保存会が結成され、年配者も加わるようになった。
保存会実行委員などにより、今日まで継承されている。
目的五穀豊穣
氏子繁栄
特徴獅子舞の所作は、「イリハ」「ナカ」「キリ」の3段階があり、雌雄二匹の獅子が、太鼓、小太鼓、鉦、笛の囃子に合わせて舞う。
雄獅子と雌獅子がお見合いをし、恋仲になり、最後は恋に狂って乱舞する様を表している。
舞いは、他の地区に比べても激しいため、途中で舞い手が2~3度交替する。子供の太鼓打は、「廻り打ち」ともよばれ、子供の太鼓を順番に打っていく。

 

秋松(あきまつ)の獅子舞
開催場所飯塚市 天満宮
開催日10月第2土曜日・日曜日
アクセス西鉄バス穂波農協バス停より徒歩5分
由来など秋松獅子舞の起源は定かではないが、江戸時代に始まったといわれており、秋松天満宮などに奉納されている。
秋松天満宮は椿八幡宮を本家とし、仁徳天皇、菅原道真公、水雨の神を祭神としている。
活動の歴史かつては町内会で催行されていたが、昭和59年頃に、町内会と分離して、天満宮保存会が結成された。
その後は保存会が主体となり獅子舞が継承されている。
目的五穀豊穣
特徴舞は、「ヒリヒヤ」「ナカ」「ノリ」「センダイ」の4種がある。
雌獅子と雄獅子がお見合いをし、恋愛し、最後は恋に狂い乱舞するという流れで舞が行われる。
ゆるやかな舞から徐々に激しい舞へと変わる。

 

弁分(べんぶん)の獅子舞
開催場所飯塚市 須佐神社
開催日10月第2土曜日・日曜日
アクセス西鉄バス弁分バス停より徒歩5分
由来など弁分地区のおくんちで奉納される獅子舞は、伝承の時期などは定かではないが、大分八幡宮(旧筑穂町)の獅子舞の流れをくむといわれる。
大分の獅子舞は、1720(享保5)年に、大分の村人が石清水八幡宮に伝わる獅子舞を習得し、1724(享保9)年に大分八幡放生会へ奉納したのが始まりといわれている。
この大分の獅子舞が、いつ頃弁分に伝わったか明らかではないが、大分のものにアレンジを加えて、秋のおくんちに須佐神社、椿八幡宮へ奉納したと伝えられている。
活動の歴史第二次大戦中も途切れることなく行っていたといわれている。
昔は青年団を中心に獅子舞を奉納していたが、若者の流出により存続が危ぶまれたため、昭和50年頃に弁分獅子舞保存会を発足させ、現在継承に努めている。
目的五穀豊穣
家内安全
特徴「ヒヤ」「ナカ」「ノリ」の3種の舞いがあり、ゆるやかな舞いからだんだん激しい舞いへと変わる。
「神殿入り」は、雄獅子と雌獅子が弁分公民館の広場の端から玄関までを全力で駆けて、どちらが早いかを競う。

 

高田(たかだ)の獅子舞
開催場所飯塚市 高祖神社
開催日10月18日直近の日曜日
アクセス西鉄バス高田バス停より徒歩5分
由来など1863(文久3)年に、当時の高田区長、入江武七郎氏が、獅子頭1対を高祖神社に奉納したことから、神社の行事に獅子舞が行われるようになったと伝えられる。
獅子舞の踊りの基本は、の大分(だいぶ)八幡宮(旧筑穂町)の獅子舞を基本にしている。
活動の歴史日清戦争から第二次大戦まで中断していたが、昭和24年に地元青年団により復活した。
若者の減少により昭和32年から中断していたが、平成13年に獅子舞の経験者が高齢化することを危惧した地元有志により保存会が発足し、2002に復活した。
目的五穀豊穣
特徴かわるがわる打つ太鼓は「回り打ち」といわれる。

 

高倉(たかくら)の獅子舞
開催場所飯塚市 高倉日吉神社および高倉地域
開催日10月第4土曜日
アクセスJR庄内駅下車徒歩40分
由来など伝承時期など詳細は不明であるが、日吉神社が1873(明治6)年に村社に定められた頃は、既に獅子舞が演じられていたといわれる。
高倉日吉神社の例祭(おくんち)で、五穀豊穣を祈願して奉納されており、綱分八幡の獅子舞の流れをくんでいる模様である。
活動の歴史第二次大戦前は、7月中旬の早苗振(さなぶり)で獅子舞を演じていたが、戦後になって、おくんち(10月14日)の翌日に獅子舞を行うようになった。
なお、戦前は、神楽がおくんちに奉納されていたが、おくんちの日程が10月第4日曜日に変更されたおり、獅子舞も当日奉納するようにした。
平成に入って数年経ち、囃子方が不足したため、女性が参加した時期もあった。
目的五穀豊穣
無病息災
特徴獅子舞を舞楽といい、マエノキリ・アトノキリ・馬場入り・神殿入り、の4演目がある。
巡行前に、境内で「マエノキリ」「アトノキリ」を演じたあと出発し、高倉地区の家々、全33戸を巡る。巡行では「マエノキリ」を演じる。
巡行の後、高倉日吉神社境内および拝殿で「馬場入り」「神殿入り」を演じる。
獅子方は16名で構成される。