瞳の日
「瞳の日」は「ひ(1)とみ(3)」の語呂合せで眼鏡・コンタクトレンズの業界が制定しました。
眼鏡・コンタクトレンズ業界によると「瞳をいつまでも美しく」ということを趣旨としているようです。
コンタクトレンズの起源はとても古く、500年以上前にはすでに発明されていたと言われています。
コンタクトレンズを発明したのはかの天才、レオナルド・ダ・ヴィンチであり、ガラスの壺に水をはって顔を入れて目を空けたところ、外の景色が変わって見えた事が現在のコンタクトレンズの考え方の原型になったとされています。
球の形をした容器に水を入れて眼をつけて覗くことによって景色が変わるということも議論していたようです。
眼鏡に関してもその起源はとても古く、発明された当初は悪魔の道具として忌み嫌われていました。
というのも目が見えなくなるというのは神が人間に与えた試練であり、それを妨げるのは悪魔の仕業と考えられていたからです。
ガラスの板越しに覗くだけで目が見えるようになる道具というのは、原理が知られていない当時では超常現象のようなものに見えて不気味だったそうです。
目からウロコが落ちるの起源
“目(眼)”は光を受容する感覚器で、光の情報は眼で受容され中枢神経系の働きによって視覚が生じます。
生物がいつ視覚的な能力を獲得したのかは定かでなく、一説には21億年以上前の単細胞生物が光を感知できたともいわれていますが正しいかどうかは不明であり、これは柔らかい構造である目は化石として残りにくいために研究が進まないからです。
それでも先カンブリア時代以前から生物は光を捉える表面細胞を備えていたと考えられており、カンブリア紀には視力を持てば捕食のため、または敵から逃れる上で非常に有利に働く目が生存に有利な機関として進化と多様化が進んだと考えらています。
ふとしたことがきっかけとなって急に物事が理解できるようになった時、“目からウロコが落ちる”と言いますよね。
いかにも日本語っぽい言い回しですが、この“目からウロコが落ちる”の起源は実はキリスト教の聖書にあるのです。
新約聖書の『使徒言行録』第9章に“パウロ(当時はサウロと名乗っていた)”という人物が登場しますが、彼は最初はキリストを迫害する立場で信者を捕まえて死刑にしたりしていました。
そして彼は、信者たちを追ってダマスコという地に向かっていたのですが、その道中で“サウロ、なぜ私を迫害するのか”というイエスの言葉を聞いて改心し、神への信仰を誓ったのです。
パウロは洗礼を受けたのですが、その時に“目からウロコのようなものが落ち、見えなくなっていた目が見えるようになった”と記されています。
それまで見えていなかったキリスト教への信仰が、はっきりと見えるようになったという例えとなるエピソードだと考えられ、その後パウロは聖人の一人となっています。
聖書が語源のことわざにはこの他にも“豚に真珠”や、砂上の楼閣”などがあります。
光を情報として受け取り脳が処理した結果、人はものを見るという行為ができるようになりました。
その進化の過程では当然突然変異の可能性もあり、青い瞳がこれに該当するのです。
青い瞳はDNAの調査の結果たった一人の人間に行き着くことが判明しており、そこから徐々に数を増やして今では欧米人といえば青い瞳というイメージがあるほどにまでなっています。
もしかするとまたどこかで瞳の突然変異が起こり、漫画みたいな赤い瞳やピンク色の瞳なんてのも生まれるかもしれませんね。
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