歌舞伎の日
「歌舞伎の日」は1607(慶長12)年のこの日にお国という女性(出雲の阿国)が江戸城で将軍徳川家康や諸国の大名の前で初めて歌舞伎踊りを披露したことが由来です。
歌舞伎の起源は女性
“歌舞伎”は日本固有の演劇で伝統芸能の一つ、重要無形文化財(1965年4月20日指定)でもあります。
歌舞伎(伝統的な演技演出様式によって上演される歌舞伎)は2005年にユネスコにおいて傑作宣言がなされ、2009年9月に無形文化遺産の代表一覧表に記載されました。
“歌舞伎”という名称の由来は、“傾く(かたむく)”の古語にあたる“傾く(かぶく)”の連用形を名詞化した“かぶき”だといわれています。
戦国時代末期から江戸時代初頭にかけて京で流行した、派手な衣装や一風変わった異形を好んだり、常軌を逸脱した行動に走ることを指した語で、特にそうした者たちのことを“かぶき者”と呼びました。
そうした“かぶき者”の斬新な動きや派手な装いを取り入れた独特な“かぶき踊り”が慶長の時代(1596年〜1615年)に京で一世を風靡し、これが現在の伝統芸能“かぶき”の語源となっているのです。
江戸時代の頃、この“歌舞伎”というのはあくまで俗称で、公的には“狂言”や“狂言芝居”とも呼ばれていました。
今でこそ歌舞伎は男性がするものとされていますが、当時の“かぶき”は主に女性が踊っていた事から“歌舞する女”の意味で“歌舞姫”、“歌舞妃”、“歌舞妓”などの表記が用いられ、中でも“歌舞妓”が主に使われていました。
現在用いられる“歌舞伎”の表記も使われないこともありませんでしたが、一般化したのは近代になってからです。
この“歌舞伎”の元祖は“お国”という女性が創設した“かぶき踊”と言われています。
“当代記”によると、お国が踊ったのは傾き者が茶屋の女と戯れる場面を含んだものであったとされ、ここでいう“茶屋”とはいわゆる遊郭のことであり、茶屋の女とはそこで客を取る遊女のことでした。
お国自身が遊女であったという説もあるようです。
お国のかぶき踊が流行すると遊郭を中心に広まり(遊女歌舞伎)、当時各地の城下町に遊里が作られていた事もあってわずか10年あまりで全国に広まります。
ですが出演者の遊女を巡る武士同士の喧嘩や刃傷沙汰が頻発し、幕府が10年余りをかけて遊女の出演を徐々に規制、最終的には禁止してしまい、こうして女性が歌舞伎の舞台に立つことは無くなってしまったのです。
徳川家康や諸国大名の前でかぶき踊を披露したお国も披露以降の消息が不明であり、文献も少ないことから伝説的な人物としてでしか残っていません。
その後各時代を経て歌舞伎は発展を続け、一時期は戦争の影響により興行が困難になったこともありましたが、戦後徐々に復活を始めます。
ですが人々の生活に余裕ができ始めると娯楽の多様化や、テレビの登場などにより歌舞伎が再び娯楽の中心となることはありませんでした。
それでも1960年頃から人気を取り戻し始め、国内だけでなく海外での公演も行われるようになり、従来の伝統的な歌舞伎だけでなく歌舞伎を核にした新しい演出の歌舞伎も登場するなど現代的な演劇として上演していく試みが続いています。
こうして歌舞伎はただの伝統芸能ではなく“生きる伝統芸能”としての評価を得ているのです。
現在でも歌舞伎役者が歌舞伎だけではなく通常の役者として活躍したり、逆に他分野の人間が歌舞伎に挑戦したりと、歌舞伎を取り巻く芸事のバリエーションは豊富です。
また、いつか女性が歌舞伎の舞台に戻ってくる、なんてこともあるかもしれませんね。
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