プロレスの日
「プロレスの日」は1954(昭和29)年のこの日に日本初のプロレスの本格的な国際試合、力道山・木村組対シャープ兄弟の試合が開催されたことが由来です。
“猪木ボンバイエ”の“ボンバイエ”の意味
“プロレス”とはリング上で主に観客へ魅せることを目的とした攻防を展開する格闘技を基本としたスポーツ、もしくはその試合を複数展開することにより開催される興行のことです。
正式名称はプロフェッショナルレスリング、興行レスリング、職業レスリングとも呼ばれ、主にアメリカ、メキシコ、日本などにおいて歴史があり複数のプロレス団体による興行が全国各地で行われ、プロレス興行がない国においてもテレビとインターネットを通じて世界中の人にも楽しまれています。
事業収入を得ないアマチュア組織も存在し、その中でも学生の愛好家達によるものは学生プロレスと呼称されますが、“アマチュアプロレス”という本来矛盾した表現になってしまっているので、プロではないがプロと同じ形式という意味で”プロスタイルレスリング”、“ノンプロ”との合成語として“ノンプロレス”と表現することもあるようです。
日本の大手プロレス団体は力道山がデビューした1951年を日本におけるプロレス元年としていますが、それ以前よりもプロレス団体による興行は存在していたことは確認されています。
プロレス興行が根付いたのは戦後に力道山が1953年に日本プロレスを旗揚げしてからのことであり、戦後間もない頃で多くの日本人が反米感情を募らせていた背景から、力道山が外国人レスラーを空手チョップで痛快になぎ倒す姿は街頭テレビを見る群集の心を大いに掴みプロ野球、大相撲と並び国民的な人気を獲得しました。
その後は日本国内においては力道山の率いる日本プロレスの独占市場でしたが、力道山死去後の日本のプロレスを支えていたアントニオ猪木が新日本プロレスを、そしてジャイアント馬場が全日本プロレスを旗揚げして両エースを失った日本プロレスは崩壊します。
ちなみにアントニオ猪木といえば入場曲の“炎のファイター ~INOKI BOM-BA-YE~”を思い出す人も多いと思いますが、この“ボンバイエ”とはアフリカの言語のリンガラ語で“やっちまえ”を意味する言葉です。
元々はモハメド・アリの応援で使われていたものですが、アントニオ猪木と対戦した際にモハメド・アリがアントニオ猪木に贈ったといわれています。
1980年代に入ると馬場の弟子であるジャンボ鶴田、天龍源一郎、猪木の弟子である藤波辰巳、長州力らが台頭する他、佐山聡がタイガーマスクとしてデビューし子供らの人気の取り込みに成功しました。
1990年代には多くのインディーズの団体が乱立する時代を迎えますが、馬場、猪木が第一線を退きプロレス人気に陰りが見えるようになっていきます。
さらに総合格闘技の登場もあり、それまでプロレスが請け負っていた異種格闘技戦の土台は総合格闘技に奪われてしまい、プロレスラーが参戦するも結果を残せた者も少ないことからさらに人気の低迷に拍車をかけてしまいました。
ですが現在でも熱狂的なファンは存在し、近年ではいわゆる“イケメン”のレスラーも登場させるなどして若い世代の人気が出ているのも確かです。
また日本ではあまり見かけませんが、海外では“ミゼットプレロス”、いわゆる“小人プロレス”といって小人症の人間が行うプロレスが本家に負けないほどの人気がありますが、何故か関係のない人が差別や虐待と主張し、縮小の傾向にあるようです。
当の本人たちは“好きでやっている仕事を奪わないでほしい”と訴えていますが、なかなか両者の擦り合わせは進んでいません。
よくプロレスは“ヤラセ”であるとして見ないという人もいますが、プロレスは台本含めてのエンターテイメントとして楽しむものだと思いますので一度見てみてはいかがでしょうか。
最近のプロレスラーはスマートで格好いい選手も多いですよ。
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