金魚の日
「金魚の日」は江戸時代に雛祭りの時に金魚を一緒に飾ったことから、1990(平成2)年に日本鑑賞魚振興会が制定しました。
江戸時代の頃は金魚というものは高価なペットであり、雛人形と一緒に飾ることで家系の裕福さをアピールする目的で始まったと考えられています。
日本鑑賞魚振興会は2010年に解散してしまいましたが、その活動はjOFa(日本観賞魚振興事業協同組合)として続いています。
現在では金魚を用いたアクアリウム展などが各地で開催されているようです。
金魚の歴史
“金魚”とはフナの突然変異を人為的に選択し、観賞用に交配を重ねた結果生まれた観賞魚です。
飼育が容易であるため世界中で親しまれています。
金魚は長江下流域の浙江省近辺が発祥の地とされており南北朝時代には既に飼育されていたようですが、当時はまだ一般的ではありませんでした。
長らく皇帝・皇族や貴族、士大夫らの富裕層によって飼育・愛玩されてきましたが、中華人民共和国成立後の文化大革命においては“旧文化”として非難・攻撃・破壊の対象となり、生産・流通・飼育とも壊滅状態に陥ってしまいます。
生産者や関係者、更にその家族まで帝国主義者として吊るし上げられ、浙江省の養魚場も破壊されたことによって金魚も大量に死滅し、中でも貴重な系統の親魚が多く失われたことから金魚生産は回復不能なほどの大打撃を受け、その歴史は断絶となりました。
1978(昭和53)年8月に日中平和友好条約が調印され民間の日中交流が拡大すると、日本の金魚生産者が浙江省などに出向いて親魚の提供や技術移転を行って復興に協力し、間もなく日本のような大量生産も始まります。
現在は中国伝統の特産物の一つとされるのみならず、日本や欧米への輸出品として、生産者は政府の支援を受けるに至っています。
日本では鎌倉時代にはその存在が知られており、金魚そのものは室町時代には中国から伝来したとされていますが、当時はまだ飼育方法や養殖技術等が伝わっておらず、定着には至りませんでした。
江戸時代の頃から大々的な養殖が始まったのですが、その初期においてはまだまだ奢侈品でした。
大坂の豪商である淀屋辰五郎は天井にとりつけた舶来物のガラス製の大きな水槽の中に金魚を泳がせ、下から眺めることにより暑気払いをしたと伝えられています。
中期になるとメダカとともに庶民の愛玩物として広まり、金魚売りや金魚すくいなどの販売形態も成立しました。
化政文化期には現在の三大養殖地で大量生産・流通体制が確立し、金魚の価格も下がったことから本格的な金魚飼育が庶民に普及します。
当時の浮世絵や日本画の画題としても広く取り上げられており、幕末期には一大ブームともなっていたようです。
明治維新後は犬や猫とともに家庭において愛玩用に飼育される典型的な動物の一つとなり、その品種も増え現在も縁日や夜店の金魚すくいなどを通じて日本人には馴染み深いものとなっています。
ヨーロッパへは中国から、アメリカへは幕末の日本から伝わり、欧米で新たな品種も創出されています。
ですが飼育放棄者による放流などが原因で、北米など世界各地で侵略的外来種となっているのも事実です。
金魚はその強い繁殖力によってオタマジャクシなどを食い尽くすことがあると言われており、また寄生虫やコイヘルペスウイルスの宿主としても問題視されています。
たかが金魚といえども上記のような事態を引き起こすことがあるので、飼育する際はきちんと管理してあげましょう。
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