マネキン記念日
「マネキン記念日」は1928(昭和3)年のこの日に上野公園で開かれた大礼記念国産振興東京博覧会において、高島屋呉服店が日本初の「マネキンガール」を登場させたことが由来です。
「マネキンガール」とはいわゆる「マネキン人形」のことではなく、生身の人間が商品を着用しモデル兼販売員を務めるというものです。
マネキンのスリーサイズ
“マネキン”とは本来は店頭において各種商品の宣伝・販売促進にあたる販売員(宣伝販売促進員)や、その職種を指すものです。
主に服飾品の販売から使われるようになった用語ですが、スーパーマーケットやデパ地下などで試食販売や実演販売に従事する販売員のことも“マネキン”と呼び、各地にある“マネキン斡旋所”から仕事を受けています。
単に“マネキン”と言った場合は衣服の展示に使われる等身大の人形(マネキン人形)を指すことも多いです。
服飾業界ではフランス語での発音に従った“マヌカン”も用いられることもありますが、一般的には“マネキン”で定着しており、これは“マヌカン”が“客を招かない(招かん)”ことに通じることに嫌った化粧品会社が、“招き猫”とかけて造語したためとされています。
“マネキン人形”は1925(大正)年には京都府に国内初のマネキン人形専業メーカー“島津マネキン”が創業しており、その後は人形店が次々とマネキン事業に参入、淘汰を繰り返し戦争の影響によって一時期はマネキン産業自体が途絶えてしまいます。
というのも1940(昭和15)年に“奢侈品等製造販売制限規則”公布に続き国民服が制定され、この軍服をモデルにしたカーキ色のごとく日本は社会全体が国防色に染められていき、ファッション産業そのものが一掃されたのです。
一方、アメリカでは国内のデザイン界やフランスからの亡命者を中心に、この年にはアメリカ版“ヴォーグ”が発刊され、戦火のためにファッションの火を絶やすということはありませんでした。
1941(昭和16)年に太平洋戦争へと突入すると、衣料統制が更に進み、衣料切符の実施、成年婦人の軍事教練開始により、モンペ姿が多くなりました。
防空頭巾、ゲートルの非常時服装が奨励され、外出時には男女とも防空服装が義務付けられます。
当然ファッションなんて楽しむ余裕はなく、それに伴って各マネキン業者の転廃業も続出、“島津マネキン”もその幕を閉じました。
戦後、復興が進むにつれて再びファッション産業が復活、同じくマネキン産業も再生を果たします。
現在でも多種多様なマネキンが店頭に並んでいることを思うと、かつて戦火の影響で途絶えてしまった産業とは思えない気もしますね。
なお、マネキン人形は服装のモデルとして使われるのでスタイル良く作られており、一般的な女性マネキンで身長は164cm前後、バスト80.0〜83.5cm、ウエスト58.5〜63.0cm、ヒップ86.0~90.0cmといったサイズで作られています。
また例外もありますが顔のないマネキンが主流であり、これはマネキンに顔がついているとその顔でイメージが固定されてしまいます。
顔がない方がお客自身がその服を着ているイメージを付けやすくなり購入に繋げやすくなるので、あえて抽象的になるように顔がないのです。
スタイルの良い“マネキン人形”にはなれなくても“マネキンさん”にはなることができます。
もし人に何かを勧める職業になりたいと思われた方は“マネキン斡旋所”で検索してみてはいかがでしょうか。
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