バレンタインデー
「バレンタインデー」は西暦269年のこの日に兵士の自由結婚禁止政策に反対したバレンタイン司教が、時のローマ皇帝の迫害により処刑されたことが由来です。
後にこの日をバレンタイン司教の記念日としてキリスト教の行事に加え、恋人たちが愛を誓う日として浸透していきました。
ヨーロッパではこの日を「愛の日」として花やケーキ、カード等を贈る風習がありますが、女性が男性にチョコレートを贈る習慣は日本独自のものになります。
1958(昭和33)年にメリーチョコレートカムパニーが行った新宿・伊勢丹でのチョコレートセールが始りであり、1年目は3日間でわずか3枚、170円しか売れませんでしたが、現在ではチョコレートの年間消費量の4分の1がこの日に消費されると言われるほどの国民的行事となりました。
一ヶ月後の「ホワイトデー」に返礼のプレゼントをします。
バレンタインデーの形
“バレンタインデー”の起源は、ローマ帝国の時代にまで遡ると言われています。
当時のローマでは2月14日はすべての神々の女王であり家庭と結婚の神でもある女神・ユーノーの祝日とされ、翌日の15日は豊年を祈願する(清めの祭りでもある)ルペルカリア祭の始まる日でした。
当時若い男たちと女たちは生活が別であり、祭りの前日に女たちは紙に名前を書いた札を桶の中に入れ、翌日に男たちは桶から札を1枚ひき、祭りの間のパートナーとして一緒にいることと定められていました。
そして多くのパートナーたちはそのまま恋に落ち、そのまま結婚したといいます。
ですがローマ帝国皇帝・クラウディウス2世は愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がるという理由で、兵士たちの婚姻を禁止してしまいました。
キリスト教の司祭だったウァレンティヌス(バレンタイン)は、婚姻を禁止されて嘆き悲しむ兵士たちを憐れみ、彼らのために内緒で結婚式を行っていたのですが、やがてその噂が皇帝の耳に入り、怒った皇帝は二度とそのような行為をしないようウァレンティヌスに命令したのです。
ところがウァレンティヌスは毅然として皇帝の命令に屈しなかったために最終的に彼は処刑され、その処刑の日はユーノーの祭日でありルペルカリア祭の前日である2月14日があえて選ばれました。
これはウァレンティヌスはルペルカリア祭に捧げる生贄という面目のためと言われています。
よってキリスト教徒にとってもこの日は祭日であり、恋人たちの日ともなったというのが一般論のようです。
ですがこの説には異論もあります。
当時のローマ教会は祭事から異教の要素を排除しようとしていた痕跡が残されており、ルペルカリア祭も排除すべきものの一つとされていましたが、ただ禁止しても反発を招くだけであったため、教会にはこの祭りに何かキリスト教に由来する理由をつける必要がありました。
そこで兵士の結婚のために殉教したとされるウァレンティヌス(バレンタイン)司教を利用したとされ、ルペルカリア祭はキリスト教以前からあったにも関わらずバレンタイン由来の祭りであると解釈を変更され、祭りはその後も続いていくのです。
また、くじ引きでパートナーを選ぶという話もローマの宗教行事は野蛮であるという印象を与えるために初期キリスト教会によって創作されたものである可能性もあるとされています。
このような宗教を含む複雑な経緯がありながらもバレンタインデーは祝日として世界に根付いており、様々な形で愛が伝えられているようです。
日本では女性が男性にチョコレートを送る習慣、西ヨーロッパなどでは男性も女性も花やケーキ、カードなど様々な贈り物を恋人や親しい人に贈る習慣、ベトナムでは男性が女性に尽くす習慣などあります。
イスラム教圏のサウジアラビアでも近年までバレンタインデーは存在していませんでしたが、近年の外国文化の流入によって一般的に認知されるようになってきているようです。
ですがサウジアラビアの宗教警察である勧善懲悪委員会は“イスラムの教えに反する”として、本格的な禁止措置に乗り出し店頭からバレンタインデー関連の商品を撤去させたりしていましたが、2018年にはイスラム法において合法であるとの見解も出されています。
本来の意味的では贈り物はチョコレートでなくても良いので、たまには何かお互いの愛を再認識できる別のプレゼントを用意するのもいいのではないでしょうか。
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