冥王星の日
「冥王星の日」は1930年のこの日にアメリカ・ローウェル天文台のクライド・トンボーが、1月23日と1月29日に撮影した写真との比較研究から太陽系第9惑星・冥王星を発見したことが由来です。
以前から内側の天王星の運行の乱れからもう1つの惑星、即ち太陽系の一番外側の惑星の存在は想定されていたのですが、予想を遥かに下回る15等星という暗さのため発見が遅くなり、その暗さからギリシア神話の冥府の神に因み“pluto”と名付けられました。
2006年に「惑星」の定義が定められ、冥王星は惑星ではなく準惑星に分類されることとなりましたが、この年はトンボーの生誕100年でもありました。
冥王星の名付け親は11歳の少女である
“冥王星”とは太陽系外縁天体内のサブグループ(冥王星型天体)の代表例とされる準惑星の天体で、直径は2,370kmと地球の衛星である月の直径(3,474km)よりも小さい星です。
1930年にクライド・トンボーによって発見され、2006年までは太陽系第9惑星とされていました。
2015年7月14日に探査機ニュー・ホライズンズが最接近し詳細な観測を行い、一部判明した観測データは公表されましたが、詳細は数多くの天文研究者および天文愛好家によって現在も解析中のようです。
冥王星の見かけの等級は14等級以下であり肉眼で観察することは不可能とされ、容易に観察するためには望遠鏡の口径は約30cm以上という非常に巨大な望遠鏡が必要ですが、それでも冥王星は点状にしか見えません。
冥王星までの距離が非常に遠く、望遠鏡の技術にも限界があるため、現在でも地球から冥王星の表面の詳細な写真を直接的に撮影するるのは不可能です。
探査機ニュー・ホライズンズが2015年に最接近して直接撮影されるまでの間は、ハッブル宇宙望遠鏡が撮影した画像から表面の明暗や模様などがわずかに分かる程度でした。
このように非常に観測しにくい冥王星ですがその名付け親はわずか11歳の少女なのをご存知でしょうか。
少女の名は“ヴェネツィア・バーニー”といい当時はイギリスのオックスフォードに住んでいました。
発見された新天体を命名する権利はトンボーの勤めていたローウェル天文台とその所長のスライファーにあり、当時は“zeus(ゼウス)”や“percival(パーシヴァル)”などが提案されましたがどれも支持を集めるまでには至らなかったようです。
ある時、ヴェネツィアは祖父から英タイムズ紙にて新たな惑星が発見されたというニュースがあったことを聞かされ、彼女は“Pluto(プルート:ローマ神話において自らの姿を消すことができる冥界を司る神)”を提案しました。
祖父はこの提案を知り合いの天文学者に送り、その天文学者からローウェル天文台に伝えられます。
発見者のトンボーはかつて冥王星の存在を予言したパーシヴァル・ローウェルのイニシャル(P.L)で始まるこの名前をいたく気に入り、1930年5月1日、この新しい天体の名称として“”Pluto”という名称が正式に採用されたのです。
冥王星が惑星から準惑星に再分類される数ヶ月前、惑星の定義に関する討論が盛り上がってきていた最中、彼女は“この歳になったので議論を戦わせることは無理です。しかし私は惑星のままであることを望んでいます”と語っていたそうです。
そう、冥王星は世界各国の人々に太陽系の9つ目の惑星として長い間親しまれてきたのですが、研究と技術の進歩が進むにつれてその立場が疑われるようになってしまいました。
冥王星は他の8つの惑星と性質が大きく違っており、1930年に発見した当時は明確な惑星の定義が定められていなかったため、少なくとも最初の太陽系外縁天体である天体“アルビオン”が発見された1992年以降、冥王星を公式に惑星と呼ぶべきかどうかを巡り常に様々な議論や論争に発展します。
1990年代後半以降同様の天体がさらに次々と発見され、賛否両論の論争はますます激しくなっていきました。
特にアメリカでは議論が激しく、これは冥王星はアメリカが発見した唯一の惑星とされ強く誇りに思われており、ディズニーのキャラクターである“プルート”も冥王星が発見された年に誕生したことから冥王星に因んで付けられたと思われるほど、特別な愛着のあるものだっからです。
ですが、この冥王星が惑星でなくなるきっかけを作ったのがアメリカによる数々の華々しい天文学上の成果と、その結果出された“太陽系惑星12個案”だったことは皮肉を感じられずにはいられませんね。
準惑星となってしまいましたが、冥王星という天体が消えたわけではないので“水金地火木土天海冥”といつまでも心に刻んでおきましょう。
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