楽聖忌

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「楽聖忌」は1827年にドイツの作曲家ベートーベンがウィーンの自宅で亡くなった日です。

多くの交響曲を作曲し、「楽聖」と呼ばれたベートーベンは、この3日前に甥のカールを唯一の相続人にするように遺言書を補足し、「諸君、拍手したまえ。喜劇は終ったのだ」という有名な言葉を呟きました。

29日の葬儀には2万人の市民が参列、宮廷歌手が棺を担いでフンメルら弟子たちがそれに続きましたが、数々の作品を献呈され交際のあった貴族たちは誰も出席しなかったそうです。

“エリーゼのために”はエリーゼという女性のために作られたものではない

“ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン”はドイツの作曲家、ピアニストで、バッハ等と並んで音楽史上極めて重要な作曲家であり、日本では「楽聖」とも呼ばれ、その作品は古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆けとされています。

1770年に現ドイツ領のボンにおいて宮廷テノール歌手の父と宮廷料理人の母の間に長男として生まれ、一家は祖父の援助を受けながら生活していました。

父が大の酒好きであったため収入が不安定であり、祖父が亡くなるとその生活は一気に困窮、1774年頃よりベートーヴェンは父からその才能を当てにされ、虐待とも言えるほどの苛烈を極める音楽のスパルタ教育を受けたことから、一時は音楽そのものに対して強い嫌悪感すら抱くようにまでなってしまいます。

1787年、16歳のベートーヴェンはウィーンに旅し、かねてから憧れを抱いていたモーツァルトを訪問しましたが母親の危篤をきっかけに帰郷、最愛の母が病死します。

そしてアルコール依存症となり失職した父に代わり、いくつもの仕事を掛け持ちして家計を支え、父や幼い兄弟たちの世話に追われる苦悩の日々を過ごしました。

1792年7月、ロンドンからウィーンに戻る途中ボンに立ち寄ったハイドンにその才能を認められて弟子入りを許され、11月にはウィーンに移住し(父親は同年12月に死去)、ピアノの即興演奏の名手として広く名声を博しました。

20歳代後半ごろより持病の難聴(原因については諸説あり、鉛中毒説が通説)が徐々に悪化、音楽家として聴覚を失うという死にも等しい絶望感から、1802年には“ハイリゲンシュタットの遺書”をしたため自殺も考えたが、彼自身の芸術(音楽)への強い情熱をもってこの苦悩を乗り越え、再び生きる意欲を得て新たな芸術の道へと進んでいくことになります。

1804年に交響曲第3番を発表したのを皮切りに全盛期を迎え、その後はピアニスト兼作曲家から完全に作曲専業へと移りました。

40歳頃には全聾となり数々の持病にも苦しめられますが、苦悩の中で書き上げた交響曲第9番やピアノ・ソナタ、弦楽四重奏曲等の作品群は彼の未曾有の境地の高さを示すものでした。

1826年12月に肺炎を患ったことに加え、黄疸も併発するなど病状が急激に悪化し、病床に伏しながら10番目の交響曲に着手するも未完成のまま翌1827年3月26日、肝硬変のため56年の生涯を終えました。

ベートーベンが作曲した中でも“エリーゼのために”は聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。

ですがこの“エリーゼのために”という曲は実は“エリーゼ”という女性に向けて作られたものではありません。

“エリーゼのために”が作曲されたのは1810年頃ですが、この頃のベートーベンは“エリーゼ”ではなく“テレーゼ”という女性にプロポーズをしています。

この時の手紙などが収められていた箱から“エリーゼのために”の譜面が発見されたことからも、この“テレーゼ”という女性宛に作曲されたものであることは間違いないようです。

ですがベートーベンの字がとても読みづらく“テレーゼ”が“エリーゼ”と間違われ、それがそのまま定着してしまったとされています。

ベートーベンは日本でも誰もが知っているような作曲家です。

ベートーベンはとても変わり者で、生涯で70〜80回は引越しをしていたとされており、56歳で亡くなったことから1年に1回以上は引越しをしている計算となります。

ハイリゲンシュタットという街には実際にベートーベンが住んでいたという家屋が点在していますので、偉大な作曲家がどういう環境で作曲していたか、感じてみたい方はぜひ訪ねてみてはいかがでしょうか。

 


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