飛行機の日
「飛行機の日」は1903年のこの日にアメリカ・ノースカロライナ州のキティホークで、ウィルバーとオーヴィルのライト兄弟が動力飛行機の初飛行に成功したことが由来です。
この日には4回飛行しており1回目の飛行時間は12秒、4回目は59秒で飛行距離は256mでした。
日本で国産の航空機が生まれない理由
“飛行機”とは空中を飛行する機械である航空機のうち、ジェットエンジンの噴射もしくはプロペラの回転から推力を得て加速前進し、かつその前進移動と固定翼によって得る揚力で滑空及び浮上するものをいいます。
アメリカのライト兄弟は1903年12月17日に飛行機(動力を備えた重航空機)、“ライトフライヤー号”による世界初の本格的な有人飛行を行いました。
この機体はただ飛んだだけではなく、様々な技術的特徴を持っています。
右と左の主翼を逆方向にねじることにより左右の揚力バランスを変え機体を傾ける(バンクさせる)機構を備えており、現在では飛行中に方向転換する際まずバンクさせるのが常識となっています。
当時ライト兄弟以外にも有人飛行を成功させようとしていた人はいましたが、そのことを理解し実際の機体構造に操縦要素として導入したのはライト兄弟のみでした。
馬力・重量比率の高いガソリンエンジンを採用しますが、当時はそのようなエンジンが売られていなかったので自作し、その後彼らは飛行機メーカーではなくエンジンメーカーとして名声を勝ち得ます。
ライト兄弟以後、飛行機はより速くより高くより遠くへ飛べるよう改良が続けられ、第一次世界大戦では飛行機は最初偵察機として使用されました。
当初敵の偵察機と遭遇しても“同じパイロット仲間同志”としてハンカチを振り合ったという逸話もありますが、すぐにピストルを撃ち合うようになり、武器自体も機関銃へと進化して戦闘機が生まれ、また敵地上空まで飛んでいって爆弾を落とす爆撃機も登場します。
こうして飛行機は兵器という新たな側面を持つようになったのです。
また、それまでは軽量化のため木製の骨組みに布張りの翼が一般的でしたが、一部の機体では骨組みや外板に金属が用いられるようにもなります。
携帯電話など最初は軍事目的で製造されたものがあるように、戦争は技術を急速に発達させるといわれており、飛行機も例外ではありませんでした。
第一次世界大戦で飛行機は大きく発展し、信頼性も向上しました。戦後は飛行機による本格的な輸送が開始されます。
最初は上流階級による旅行のための旅客機や郵便運送に利用されていましたが、機体が大型化するにつれて一般の金持ち階級も利用できるようになり、大洋を渡る路線や長距離を飛ぶ大型機としては、離着陸や万が一の際に広大な海面が利用できる飛行艇が充当されました。
この頃から骨組や外板全てをジュラルミンなどのアルミニウム合金で製作した全金属製の機体が登場し始めます。
第二次世界大戦でそれまでの戦争と違って飛行機が戦闘の主役となり、陸上・海上を問わず制空権を握った側が戦いに勝利するのが常となりました。
日本でも1941年12月8日に日本空母6隻から発した雷撃機・爆撃機・護衛戦闘機隊によるハワイ・真珠湾攻撃を行い、この攻撃で戦艦2隻を沈没、4隻を大破着底させたことからもいかに飛行機が戦争において重要な要素となったかが伺えます。
アメリカ太平洋艦隊はその後航空母艦を主力とする戦法に切り替え、戦争が長引くにつれアメリカの生産力が生む大量の航空機が太平洋を制し、日本の海上戦力を壊滅させ輸送能力を奪いました。
日本が占領していた島々も補給が途絶え戦力を喪失し、順次アメリカに奪われていきます。
アメリカはこれらの島々に飛行場を整備し、大型爆撃機B-29を発進させ戦略爆撃を行い日本の継戦能力を奪い続け、B-29は最後に実験的に広島と長崎に原子爆弾を投下し日本は敗戦を迎えるのです。
つまりは制空権を失った時点で日本の敗戦は決まったようなものだったと言えるかもしれません。
そして大戦末期に実用化されたジェットエンジンも直ちに軍用機に採用され、戦闘機や爆撃機は次々とジェット化されていきました。
飛行機の大型化・高速化に伴い、それまでのような人力による直接の操縦は不可能となり、油圧アクチュエータを介して舵面を操作する方式が一般化します。
飛行機はこれまで“より速く・より高く・より遠くへ”と発展してきましたが、1960年代には飛行速度・高度・航続距離とも頭打ちとなりました。
冷戦が終結し大国間の全面戦争の恐れがなくなったこともあり各国が装備する軍用機の数は減少し、特に敵国上空まで飛んで爆弾やミサイルを投下する大型爆撃機はその使命を終了し、新たに開発されることもなくなりました。
軍事分野での新たな進展は敵に見つからないことを目指すステルス性の実用化であり、レーダーに映りにくい塗料や形状を持った航空機が実験的に登場しています。
日本でもは敗戦以来、国産の航空機が開発されることはなく、これはGHQによって航空機の研究・設計・製造を全面禁止されたことが理由です。
ですがその間にも他国では航空技術の進歩は進んでおり、いざ国際社会に復帰して航空機を開発しようとしてもその間の格差は埋められません。
というのも航空技術で一番難しいのは“軽くて安全で馬力のあるエンジンの開発”といわれており、そのノウハウを得るには時間とコストをかけて積み重ねていくしか方法がないのです。
てっとり早く追いつくには他国から製品を買うことでしか解決できず、そのため国産の航空機というのはなかなか生まれないのでした。
それでも近年は国産初のジェット旅客機が登場し、ステルス戦闘機なども開発が進んでいます。
計画の頓挫も危ぶまれていますが、かつて零戦で世界を圧倒したように現代の航空機技術でもトップレベルになれるといいですね。
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