寒天の日
「寒天の日」は2005(平成17)年のこの日にNHKテレビ『ためしてガッテン』で寒天が取り上げられて大ブームとなったことを記念して、長野県茅野商工会議所と長野県寒天加工業協同組合が制定しました。
ブームとなったことだけでなく元々寒天が12月から2月にかけて製造されていたことも関係しており、長野県の特産品としてのPRも兼ねているようです。
寒天とところてんの違い
“寒天”とは天草(テングサ)やオゴノリなどの紅藻類の粘液質を凍結・乾燥したものであり、ゼリー系の食べ物の材料という点で牛や豚から作られるゼラチンに似ていますが、化学的には異なる物質になります。
ほとんどカロリーがないこと、腸において油や糖分の吸収を妨げることから、ダイエット食品や健康食品としても注目されています。
江戸時代前期、山城国紀伊郡伏見御駕籠町(現在の京都府京都市伏見区御駕籠町)において旅館『美濃屋』の主人・美濃太郎左衛門が、島津大隅守滞在のおりに戸外に捨てたところてんが凍結し、日中に融けたあと日を経て乾物状になったものを発見します。
試しに溶解してみたところ従来のところてんよりも美味しく海藻臭さも無かったとされ、これを黄檗山萬福寺を開創した隠元禅師に試食してもらったところ、精進料理の食材として活用できると奨励され、その際に隠元によって“寒天”と命名されました。
これが寒天の起源とされ、このことが書かれた書物も複数発見されていますが、具体的な時期ははっきりとしていません。
当初は水で洗ってそのまま食することが多かったと考えられ、1671(寛文11)年刊の『料理献立集』に寒天を使用した精進刺身が掲載されているそうです。
菓子の材料としては1707(宝永4)年の『御菓子之畫図』に寒天を使用した棹菓子が見られます。
その後製法の改良と伝播が進み、長野県の諏訪地方では角寒天として定着しました。
1881(明治14)年にドイツの細菌学者であったロベルト・コッホが寒天培地による細菌培養法を開発したために寒天の国際的需要が増え、第二次大戦前は寒天は日本の重要な輸出品となっていましたが、第二次世界大戦中は戦略的な構想から輸出を禁止してしまいます。
寒天の供給を絶たれた諸外国は自力による寒天製造を試み、自然ではなく工業的な寒天製造法を開発、こうして作られたのが粉末寒天です。
上記の起源からもわかるようにところてんと寒天の原料は同じ紅藻類から作られます。
ところてんはテングサやオゴノリなどの紅藻類をゆでて煮溶かし発生したゲル状の物質を冷まして固めた食品で、それを“天突き”と呼ばれる専用の器具を用いて、押し出しながら細い糸状(麺状)に切って提供されます。
寒天とはこのところてんを戸外で凍結、乾燥させたものですのでところてんに一手間加えた食品なのです。
オノゴリを主原料とする粉寒天は安価で凝固力が強く煮溶かす前に吸水の必要もなくすぐに使えることから、戦後日本の食卓に登場してからあっという間に主流になり、国内市場の9割を占めています。
寒天生産量日本一の長野県でも昔ながらの天然寒天づくりをしているのはわずか10軒あるかないかで、100%テングサを原料に使っているところは僅かだそうです。
原材料も厳密にテングサとオゴノリを区別して表示する義務はなく、ただ海草類と表記すればいいらしく、もはや原料も製品もただ“寒天”と一括りにされてしまっています。
ですが天然製法の寒天は工業寒天にはないしっかりとした食感と風味があると言いますので、“本物”を食べたい方は探してみてはいかがでしょうか。
昨日は何の日?
2月15日
今日は何の日?
2月16日
・寒天の日
明日は何の日?
2月17日