富士山の日
「富士山の日」は「ふ(2)じ(2)さん(3)」(富士山)の語呂合せと、この時期は富士山がよく望めることから、1996(平成4)年1月にパソコン通信NiftyServe内の「山の展望と地図のフォーラム(FYAMAP)」が制定しました。
「富士山周辺の景観、富士山に関わる歴史を後世に引き継ぐ事」を目的としています。
これとは別に山梨県河口湖町が2001(平成13)年12月に、静岡県が2009(平成21)年12月に制定しており、一部の地域では「富士山の日」は学校が休校となっているところもあるようです。
富士山はどの県のもの?
“富士山”は静岡県と山梨県に跨る活火山で、その山体は駿河湾の海岸まで及びます。
標高3776mと日本最高峰(剣ヶ峰)の独立峰で、その優美な風貌は日本国外でも日本の象徴として広く知られており、数多くの芸術作品の題材とされ芸術面で大きな影響を与えただけではなく、気候や地層など地質学的にも大きな影響を与えています。
古来より霊峰とされ、特に山頂部は浅間大神が鎮座するとされたため、神聖視されてきました。
噴火を沈静化するため律令国家により浅間神社が祭祀され信仰が確立されたもので、また富士山修験道の開祖とされる富士上人により修験道の霊場としても認識されるようになり、登拝が行われるようになります。
これら富士信仰は時代により多様化し、村山修験や富士講といった一派を形成するに至り、現在では富士山麓周辺には観光名所が多くある他、夏季シーズンには富士登山も盛んです。
上記の通り富士山は静岡県と山梨県を跨いでいますが、その境界はどうなっているのか疑問に思ったことはありませんか?
山頂部を半分にしているのかと思いきや、実は山頂部は“どちらのものでもない”となっています。
厳密には山頂部から東側斜面にかけては境界(県境)が定められておらず、境界がない状況は古くから続いているとみられ、明治時代には国が境界調査を実施したのですが両県の主張が対立し結論が棚上げされてきたという経緯があります。
山梨県市町村課がまとめた資料によると、江戸時代の地誌である“甲斐国志”には“8合目より頂上に至りては両国の境なし”と書かれ、当時から境界のない場所だったことが分かります。
1897年、当時の宮内省御料局が境界調査を実施したのですが山梨と静岡の両県が異議を唱え、1905年には静岡県側が“8合目境界”を主張する一方で山梨県側が1907年に山頂に境界を設けるよう求めたといわれていますが、静岡県側が主張する“8合目境界”がどんな内容だったのかなどは資料の不足から判明していません。
その後も両県はそれぞれ独自に測量を実施すたものの境界の画定には至らず、1951年には当時の両県知事が会談し境界を巡っての争いはしないことで一致したとされています。
2014年1月の富士山世界文化遺産協議会後の記者会見でも静岡県知事の川勝平太と山梨県知事の横内正明は県境を定めないことを明言しており、境界の問題は現在も棚上げされた状態なのです。
Googleマップでは境界が表示されていますが、国土地理院の発行する地図では県境を示す破線はありませんので見てみてはいかがでしょうか。
このように県境が画定されてない地域はこの富士山頂を含めて全国で14箇所あるといわれています。
なお、富士山頂の土地については江戸時代に徳川家康から浅間大社に寄贈されましたが、明治維新の際に国有地となってしまいます。
戦後になって徐々に返還されるのですが山頂だけはなかなか返還されず、1974年の最高裁判決においてその所有権が富士山本宮浅間大社にあると確定され、ようやく山頂も返還されました。
未だ未解決となっている富士山の県境問題ですが、富士山頂郵便局、富士山特別地域気象観測所の所在地は静岡県となっている一方で登山客は山梨側から登ることが圧倒的に多く、どちらかを優遇するような方法での解決は難しいかもしれません。
いつか関係者全員が納得いく形で解決するといいですね。
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