忍者の日
「忍者の日」は「ニン(2)ニン(2)ニン(2)」という語呂合わせが由来で、2015年に「日本忍者協議会」が制定しました。
日本を代表する文化である「忍者」をもっと活発にして発展させる事を目的とし、翌年の2016年にも伊賀上野観光協会や甲賀市観光協会が主催となって様々なイベントが行われました。
手裏剣投げ体験や丸薬作りなどが楽しめたり、忍者グッズの販売が行われていたそうです。
忍者という職業
“忍者”とは室町時代から江戸時代にかけての日本において大名や領主に仕える、もしくは独立して諜報活動、破壊活動、浸透戦術、謀術、暗殺などを仕事としていたとされるもので、 その名は日本国内にとどまらず世界的にもよく知られています。
その正体は基本的に特定の領主に仕えずに戦毎に雇われる傭兵のような存在であり、伊賀衆・甲賀衆のような土豪集団もあれば、乱波(らっぱ)・透破(すっぱ)のような偵察や情報収集を主に行っていた集団もいました。
戦には足軽として参加、夜討ち朝駆けといった奇襲撹乱を得意としていたようで、伊賀・甲賀においては荘園時代から悪党がはびこり、それらが後世に忍者と呼ばれる伊賀衆甲賀衆になったとされています。
江戸時代の頃までは特定の呼称はありませんでしたが戦前は“忍術使い”、戦後は村山知義、白土三平、司馬遼太郎らの作品を通して、“忍者”、“忍びの者”、“忍び”という呼称が一般化しました。
女中や小間使いとして潜入して諜報活動を行っていた女性の忍者も存在しており、いわゆる“くの一”と呼ばれる者になります。
忍装束を着て映像作品や漫画作品などで活躍するような通俗的な姿は近代の創作とされ、史実としてはかの武田信玄に仕えた“歩き巫女”の集団が有名です。
ただし、これらの時代の忍者もいわゆる“忍装束”というものを着用していたものの、それは現代のステレオタイプの忍者のようなスタイリッシュなものでありませんでした。
諜報活動をする際に真っ黒な服装をしてもかえって目立ってしまうので、どちらかといえば農民に近い渋い色の服装が忍の装束だったのです。
また忍者の武器の一つとして“鎌”が用いられることがありましたが、これは農民に扮している際に所持していても違和感がないので使用されており、現在でも鎖鎌などのようにトリッキーな武器に脚色されて残っています。
その後歴史が進み、明治になり江戸幕府から明治新政府へ政権が移ると、警察、日本陸軍、日本海軍が創設され、忍者もその役目を終えることになりました。
活躍できる場を失った彼らはその後、陸軍や警察関係(警察官)の職業など、技能を活かすために新たに創設された職に就いた者や、明治になって職業選択の自由が出来たことから全く違う職に就いた者など、生きた経緯は別れるようになり、それぞれの子孫が現在に至ります。
そして忍者は違う形で再び日の目をみることになりました。
戦後は様々な特撮や映像作品において忍者がモチーフの者が登場し人気となった他、近代では漫画やアニメなどでも人気作が登場、国内だけでなく海外でも爆発的人気となったのです。
現在でもそれぞれの子孫が忍者を生業にしているところがあり、各地で忍者ショーが楽しめるようになっています。
大多数はアスリートが扮しているものですが、本当に実在した有名な忍者の子孫がやっているかもしれませんので探してみてはいかがでしょうか。
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