郵便マークの日
「郵便マークの日」は1887(明治20)年のこの日に逓信省(後の郵政省、現在の日本郵政グループ)のマークが逓信の「テイ」に合わせて甲乙丙丁の「丁」に決定したことが由来です。
しかし、万国共通の郵便料金不足の記号「T」と紛らわしいことがわかり、6日後の14日に「〒」に変更されました。
「〒」の由来には諸説あり「テイシンショウ」の「テ」を記号化した説や、単純に「T」の上に棒を付け足すことで見やすくした説などがありますが、どの説が正しいのかなどは不明です。
手紙の中身が便箋1枚だけだといけない理由
“郵便”とは郵便物を送達する(送り届ける)制度のこと、もしくはその郵便物のことです。
定められた寸法や重量を守った郵便物に宛先を明記し、郵便局等において寸法や重量のカテゴリごとに一定の料金を支払うと、郵便事業者が宛先へと配達してくれる、というものになります。
同様に、通常の速さ(日数)で送るはがきや封書などは、わざわざ郵便局に足を運ばなくても郵便物に料金相当分の切手を貼付し郵便ポストに投函すれば、郵便事業者がポストを定期的に巡回しておりそれを集めて郵便局へ運び、その後は郵便局で預かった郵便物と同様に宛先まで送達する、という仕組みも一般的となっています。
郵便の起源は12世紀ごろに各地の教会・修道院を統率するため始まった僧院飛脚マナスティック・ポストが起源とされており、その後1516年からドイツ・イタリアの名門一族の人物フランチェスコ・デ・タシス1世が設立した会社が運営する中でヨーロッパ全域を対象に行ったものが近代郵便の始まりです。
日本において通信制度が現れたのは伝馬などを利用して公用通信に供した“大化の駅制”とされ、この駅制は盛衰を続けながら鎌倉時代に至って飛脚の出現となり、戦国時代には大名の書状送付に飛脚が利用されるなどを経て、江戸時代に幕府の整備により武家や町人が利用できる飛脚屋・飛脚問屋などの制度が発達しました。
その後明治時代に入り、飛脚は郵便に移行してゆくのです。
当時の郵便には封書が便箋1枚で終わるのはマナー違反という風潮があったようで、内容の短い手紙であった場合は白紙の便箋を1枚つけるという慣習がありました。
これには“三行半(離縁状)や果し状など縁起が悪いとされる種の手紙が基本的に1枚切りの書状なので、縁切りを連想させる1枚の手紙は失礼とされたから”や、“紙がまだ貴重だったこともあり、返信用の便箋を用意する相手への気遣い”、“1枚だけだと裏側から透けやすく外から読めてしまうため、透けないようにするための心遣い”、“古来より短文の手紙は失礼にあたるとされたことから「文面は1枚で終わってしまったが本当はもっと書きたい」という気持ちを白紙で表していた”などの理由があったようです。
現代では便箋1枚となっても特にマナー違反だとはなりませんが封筒についても似たような慣例があり、“弔事やお見舞いには一重の封筒を使用し通常は二重の封筒を使用する”というもので、災いが重ならないようにという意味があります。
また、弔事やお見舞いの手紙についても“重なる”ことをイメージさせないために便箋を1枚に納めるのですが、封筒のマナーと混同されて広まってしまい、通常の手紙が1枚になってしまった場合は白紙を重ねて送るようになったといわれています。
スマホなどで手軽にメールが送れるようになった近代社会ではなかなか手紙を送ることは少なくなったかもしれません。
ですが電子メールではなかなか再現できない、手書きの文字の暖かさというものもあると思うので、大事なことは手紙で伝えてみてはいかがでしょうか。
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