マフィアの日
「マフィアの日」は1282年のこの日にマフィアの名前の由来となったとされる「シチリアの晩鐘事件」が起こったことが由来です。
マフィアの語源のいろいろ
“マフィア”とはイタリアのシチリア島を起源とする組織犯罪集団のことであり、19世紀から恐喝や暴力により勢力を拡大、1992年段階では“ファミリー”と呼ばれる186グループ、約4000人の構成員がいると言われました。
組織犯罪集団の代名詞的存在であるため他民族、もしくは他地域の犯罪組織も“マフィア”と呼ばれることがあり、マフィアの一部は19世紀末より20世紀初頭にアメリカ合衆国に移民し、ニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルス、サンフランシスコなど大都市部を中心に勢力を拡大します。
今でこそ裏社会の住民みたいな印象を受けますが、その語源は意外なものでした。
1282年にマフィアの名前の由来となったとされる“シチリアの晩鐘事件”が起こったのですが、当時のシチリア島はフランス国王の叔父であるシャルル・ダンジューの苛酷な支配下にありました。
1282年の3月30日は復活祭の翌日の月曜日であり、晩祷の為に教会の前に多くの市民が集まっていた。
そこへフランス兵の一団がやってきてその土地の女性に手を出そうとしたため、その女性の夫はいきなりその兵士を刺します。
その場に居合わせたほかの市民もフランス兵に襲いかかり兵士の一団を全員殺してしまい、そのとき晩祷を告げる晩鐘が鳴ったことから“シチリアの晩鐘事件”と呼ばれました。
この反乱は全島に拡大、フランス人は見つかり次第に殺されその数は4000人以上に及び、シャルル・ダンジューのアンジュー王家はシチリアから追放され、代ってシチリアの支配者となったアラゴン王家との間に20年に及ぶ戦争へと発展します。
この反乱の合言葉“Morte alla Francia Italia anela(全てのフランス人に死を、これはイタリアの叫び)”の各単語の頭文字を並べると“マフィア(mafia)”となり、これがマフィアの名前の由来であるという説になるのですが、イタリア語として不自然で後に創作された可能性が高いともいわれています。
そして“マフィア”の語源には諸説ありこれが定説というものは存在しません。
シチリアは9世紀から11世紀までイスラム教徒のアラビア人が支配しており、支配に反抗した者や犯罪者がしばしば採石場に逃げ込んだと言われています。
アラビア語で採石場を意味する“マーハ(mafie)”、空威張りを意味するマヒアス“(Mā Hias)”から来たという説です。
また、イタリアの国語辞典には“シチリア方言で「乱暴な態度」から”と記述もあるようです。
元々、マフィアという言葉は肯定的な意味で使用されていた言葉であり、“美しさ、優しさ、優雅さ、完璧さ、そして名誉ある男、勇気ある人、大胆な人”という意味で使用されていました。
この意味での言葉が初めて公文書に使われたのは1656年パレルモでの異端尋問においてであり、異端とされた者のリストの中にこの言葉が使用されています。
現在のような秘密結社、犯罪組織を意味する言葉として初めて使われたのは19世紀以降からであり、現代の意味でこの言葉が広く知られるようになったのは1862年に制作された喜劇“ヴィカーリア刑務所のマフィア構成員たち(I mafiusi de la Vicaria)”がパレルモのサンタンナ劇場で上演され大ヒットしイタリア各地で巡演されてからです。
日本にも実はマフィアが存在していたことがあり、戦後間もない時期にアメリカ領フィリピンのマニラの賭博師だったテッド・ルーインやシカゴのチェーソン・リー(中国系でアル・カポネの子分)が、連合国占領下の東京に進出していました。
テッド・ルーインは銀座に“マンダリン”という店を出して闇賭博場を開いたことがあるとされ、ルーイン一派は帝国ホテルダイヤ強奪事件などの犯罪を引き起こして最後は日本を離れる結果となるが、児童養護施設エリザベス・サンダースホームに寄付などもしていたようです。
マフィアは、かつての日本のヤクザのように事務所を公然と構えるのではなく、徹底した秘密組織・非公然組織であり、これはマフィアには構成員に服従と沈黙を厳しく命じる血の掟(オメルタ)が存在するためです。
掟を破った時には他の構成員に対する見せしめの為に凄惨な制裁がなされ、行方不明となり、のちに拷問を受けた痕のある惨殺体で発見される例が最も多いとされています。
この掟と正式構成員が少人数であることが相まってマフィアに対する犯罪捜査は困難となり、アメリカ当局もこれに対抗するためにFWPP(連邦証人保護プログラム)を適用して保護するなどの対策を採っています。
ですが取り締まりの強化により、近年ではマフィアによる凶悪犯罪自体は減少の傾向にあるようです。
今でこそ犯罪者集団の代名詞となってしまいましたが、もしかしたら“シチリアの晩鐘事件”のような不当な弾圧に対する抵抗の象徴の意味で使われる言葉になっていたのかもしれませんね。
昨日は何の日?
3月29日
今日は何の日?
3月30日
明日は何の日?
3月30日