冒険家の日
「冒険家の日」は1965年に同志社大学南米アンデス・アマゾン遠征隊がアマゾン川の源流から130kmを世界で初めてボート下りし、1989年に堀江謙一が小型ヨットでの太平洋の単独往復を達成した日が由来です。
マッキンリーの単独登頂を成功させた植村直己は「冒険で死んではいけない。生きて戻ってくるのが絶対、何よりの前提である。」と語っていましたが、1984年2月12日の43歳の誕生日に世界初のマッキンリー冬期単独登頂後に成功した後、翌2月13日に行われた交信以降は連絡が取れなくなってしまい、行方不明になってしまうという最期を遂げました。
その後、それまでの偉業を称えて同年に国民栄誉賞を受賞します。
冒険家の収入源とは
“冒険家”とはなにかの目的で、それが名誉、利益のために、あるいはなんらそれがもたらすものがなくても冒険それ自体のために危険な企て、冒険、試みに敢えて挑戦を試みる人たちのことで、あるいはかかる事件、事態に目撃者として遭遇した人たちも含めて言うこともあります。
新大陸の発見、未知の民族や文化の探検、政治的な事件、革命の目撃、ジェット機での音速の壁への挑戦やオートバイや気球での大旅行の敢行など、さまざまな冒険のかたちが存在し、中でも、“未知の地域”を対象とする踏査(探検)者に関しては、探検家と呼ぶ定義の仕方もああります。
“冒険家に収入はあるのだろうか?”と多くの人がきっとこの疑問を抱いているはずです。
実際に冒険家は冒険することそのもので収入を得るのはとても難しいです。
冒険家のほとんどは、誰かに頼まれるわけでもなく、自分が冒険に出たいから冒険をしており、ある意味では自己満足ともいえるかもしれません。
また、世界のあちこちで冒険を続けていくには多額の資金が必要であり、よほどの大金持ちでない限り、一般の人がそれだけのお金を持つことは難しいため、スポンサーとなってくれる企業などを探して資金を調達する必要が出てきますが、まったく実績のない冒険家に対してスポンサーになってくる企業は普通ありません。
となると冒険家というのは“ひとつの生き方”であり、正確には職業といえない面もあるかもしれません。
ですが冒険家として難しい冒険を成功させたり、世の中に名が知られていったりすると、その状況は変わってきます。
というのも、各所から冒険家に“冒険の記録を発表してほしい”というオファーがくるからです。
たとえば、書籍の執筆を頼まれて行えば原稿料や印税が入りますし、あるいはメディア出演、冒険に関する講演会をこなせばギャラをもらうことができます。
年収は人によってだいぶ差がありますが、有名になればなるほど多くの依頼が舞い込みますので、自分が好きな冒険をしながらお金も入るという状態になります。
ただし、冒険家としてリッチな生活ができるのは本当に一握りの人だけであり、スポンサーも付かない無名な冒険家であれば、シーズンでない時期にアルバイトなどをしてお金を貯めることが一般的といわれています。
あるいは、冒険家以外に本業を持っていたり、趣味のような形で冒険に出る人もいたりし、いずれにしても、冒険家としての活動のみで生活を成り立たせていくのはとても大変なことだといえます。
実際に冒険には出ることはなくても冒険のような選択を迫られることは誰にでもありますので、後悔のない選択をしたいものですね。
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