平安遷都の日
「平安遷都の日」は794(延暦13)年のこの日に桓武天皇が長岡京から山背国葛野郡宇太村の新京に移ったことが由来です。
「平安京」と命名されたのはその年の11月8日でした。
平安遷都1,100年を記念して1895(明治28)年に創建された平安神宮の例祭・時代祭はこの日に開催されます。
平安京の羅生門の現在の姿
“平安京”とは“平安城”とも呼ばれるかつて日本の首都であった都市です。
桓武天皇によって長岡京からの遷都地に選ばれ、唐の首都長安城に倣って計画都市として山城国に建設されたもので、現在の京都府京都市・京都市街であり当時の街路をほぼそのままに主要都市として現存しています。
平安京は現在の京都市街にあたる山背国葛野・愛宕両郡にまたがる地に建設され、東西4.5km、南北5.2kmの長方形に区画された都城でした。
都の北端中央に大内裏を設け、そこから市街の中心に朱雀大路を通して左右に左京・右京(内裏側からみての左右になる)を置くという平面計画は基本的に平城京を踏襲し、隋・唐の長安城に倣うものでしたが、羅城(都市を囲む城壁)は羅城門の左右を除き造られなかったと考えられています。
この地の選定は中国から伝わった陰陽道(風水)に基づく四神相応の考え方を元に行われたという説もあるようです。
“羅城門”は古代日本の都城の正門で、朱雀大路の南端に位置し北端の朱雀門と相対するもので、後世には“羅生門(らしょうもん)”とも呼ばれており、芥川龍之介の作品として知っている方も多いのではないでしょうか。
平安京の羅城門は現在の京都府京都市南区唐橋羅城門町にありました。
文献上では『日本紀略』において弘仁7年(816年)8月16日夜に大風で倒壊したと見えるほか、その後に再建された門も『百錬抄』によれば天元3年(980年)7月9日の暴風雨で倒壊したと見え、以後は再建計画が上がるも実際に再建されることはなかったとされています。
その頃の平安京は日本最強の怨霊として知られる菅原道真公によって祟られていたとされており、羅生門周辺も様々な怪奇譚が生まれるほど荒れていました。
そんな有名な平安京の羅生門ですが、さぞ跡地は観光地として賑わっているかと思いきや、実は町の一画の公園にぽつんと石碑がたっているだけなのです。
遺構についても数回の発掘調査が実施されていますが、現在までに確認には至っていません。
11世紀前半頃に藤原道長が法成寺建立に際して礎石を持ち帰ったという記録があり、当時にはすでに礎石のみの状態であったようです。
かの羅生門の現在の姿が公園に石碑があるのみとはあまり知られておらず、観光名所の多い京都では他の観光地に埋もれがちですが、むしろその意外な姿は逆に新鮮なのかもしれません。
ですので京都を訪れた際は、散策がてらに羅生門跡地の石碑を見に行ってはいかがでしょうか。
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