観光バス記念日
「観光バス記念日」は1925(大正14)年のこの日に 東京乗合自動車により日本初の定期観光バスである「ユーランバス」の運行が開始されたことが由来です。
その運行ルートは皇居前から始まり銀座を経由して上野へ向かうものでした。
登場した当初はまだ馬車であったり人力車が主流だったためバスはあまり浸透しませんでしたが、1923年の関東大震災が起きたことをきっかけにしてバスの利点が見直されることになり、その後徐々に庶民の足として普及し始め、1925年には観光バスが登場することになります。
現在の観光バスといえば「ハトバス」などが有名ですが、大正時代から昭和時初期にかけての観光バスといえば「ユーランバス」が有名で、娯楽の少ない時代に庶民の間でとても人気でした。
ですが戦争が始まったことが影響して、1940(昭和15)年9月18日には運行が終了してしまいます。
バスは定員超過にならない?
“バス”とは大量の旅客輸送を目的に設計された乗り物です。
バスの起源は17世紀にフランスのブレーズ・パスカルが考案した“5ソルの馬車”と呼ばれる乗合馬車であるとされています。
乗合馬車は前部に馬を操縦するための運転席を、後部に人員を輸送するための客室を備えており、比較的安価な運賃で利用でき、一定の経路を時刻表にしたがって運行するなど現代のバスと共通する特徴を持っていました。
その後動力が機械式にされ、日本においても最初のバス車両は乗合馬車を改造したものが使用され、箱の部分に乗合馬車の部分をそっくり流用し、アメリカ製のエンジンを搭載したものだったそうです。
乗合バスが登場したころはエンジン部が前方に突き出したボンネット型バスが主流でしたが、その部分に乗客を乗せられなくなることからやがてエンジンが車体内に組み込まれた箱型に代わっていったことに伴い、現在運行するバスのほぼ全てが箱型のバスが運行されるようになり、ボンネットバスは一部の観光地で郷愁を誘うための観光目的で走行しているのみになります。
朝夕の通勤・通学ラッシュでは地域によってはすし詰め状態になることも珍しくありません。
“これは定員オーバーになって普通乗用車みたいに止められるのでは”と心配に思った方もいるでしょう。
確かに飛行機や船舶、高速バス、乗用車であれば、定員超過は法律違反になります。
これは“保安定員”という考え方があり、座席数を超える乗客を乗せてしまうことは安全運行上の問題が生じるということで、処罰の対象となるのです。
この保安定員は車両サイズ、運行距離、必要な燃料量、救命設備、乗客一人一人の快適性を考慮した占有面積などから定められているそうです。
ですが都市内の近距離を運行する路線バスと鉄道の定員に関しては、“サービス定員”もしくは“旅客定員”と呼ばれる考え方が適用されています。
サービス定員とは通常の運行に支障がない乗客数という意味で、座席数に加えて立っている人も座席と計上されます。
これを“立席”と呼び、吊り革の数も定員に含まれ、さらに吊り革につかまらなくても近距離運行であれば安全運行に支障はないとみなされるため、路線バスと鉄道は定員を超えても法律違反にはならないのです。
定員超過にはならなくても当然乗れる人数には限界があります。
大型バスのサービス定員は72~78人程度ですが、実際にぎゅうぎゅうの満員だと感じられるのは50数名前後だと言われており、路線バスがサービス定員を超過することはなく、鉄道のように“乗車率200%”などとなることもありません。
そして、物理的にも安全上的にもこれ以上乗客を受け入れられないと運転士が判断した場合には、“満員ですので次のバスにご乗車ください”とアナウンスをしてバス停を通過します。
この“満員通過”は混雑が激しいバス路線で天気の悪い時になると、2台~3台と立て続けに起こることもあるそうです。
規定上では定員超過になっていなくても、明らかにこれは超過だろうというバスを見かけますが、いつか通勤ラッシュの時間でもすし詰めにならないようなシステムの整備が進むことを望みます。
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