国民栄誉賞の日
「国民栄誉賞の日」は1977年のこの日、2日前の9月3日に通算ホームラン数の世界最高記録を作った王貞治が、日本初の国民栄誉賞を受賞したことが由来です。
国民栄誉賞とは、前人未到の偉業を成し遂げ、多くの国民から敬愛され、夢と希望を与えた人に贈られる賞です。
国民栄誉賞を辞退した人たち
“国民栄誉賞”とは、日本の内閣総理大臣表彰のひとつであり、賞の運用は1977(昭和52)年8月に定められた国民栄誉賞表彰規程に従って行われ、当時の首相・福田赳夫により創設され、これまでに26人と1団体が受賞しています。
内閣総理大臣や政権による表彰としては、本賞成立以前の1966(昭和41)年に当時の総理大臣・佐藤栄作が創設した“内閣総理大臣顕彰”がありましたが対象が限定されており、プロスポーツ選手は対象外でしたが、福田赳夫首相が通算本塁打の世界記録更新を控えたプロ野球選手王貞治を表彰しようと発案します。
この背景には背景には、先に設置されていた顕彰、内閣総理大臣顕彰が“学術および文化の振興に貢献したもの”など6つの表彰対象を定めていた反面、プロ野球選手を顕彰した前例がなかったという事情があり、また王は叙勲には若過ぎたということも重なって、そのため、より柔軟な表彰規定を持つ顕彰として創設されたのが国民栄誉賞となるのです。
“国民栄誉賞”を受賞するとどのような恩恵が受けられるのか気になる人も多いと思います。
賞金が出るのではと思われた方もいると思いますが、実は“多大な功績を残した”という名誉だけになります。
規定上では賞金を出すことには問題はないようですが、これまでの受賞者にお金を受け取った人物はおらず、代わりに100万円相当までの記念品を授与されることもありますが、過去に受賞したマラソンランナーの高橋尚子さんは腕時計を希望し、数千円の腕時計が贈られました。
このように少しの副賞と受賞記念の盾などが贈られますが、基本的には“栄誉”が与えられて讃えられるというのが“国民栄誉賞”なのです。
また賞の歴史上、以下の人物が受賞を辞退したことが明らかになっています。
・福本豊
1983(昭和58)年6月に当時の世界記録となる通算939盗塁を達成し、中曽根康弘首相から授与を打診されたが、“そんなんもろたら立ちションもでけへんようになる(本人談)”として辞退しました。
日本全国向けには“呑み屋に行けなくなる”と報道されましたが、実際は“王さんのような野球人になれる自信がなかった。記録だけでなく広く国民に愛される人物でないといけないと解釈した”という心中を語っています。
なお大阪府知事の賞詞は受賞しています。
・古関裕而(作曲家)
1989(平成元)年の没後に授与が遺族に打診されるも、遺族が辞退しています。
長男は“元気に活動している時ならともかく亡くなったあとに授与することに意味があるのか”と没後追贈に疑問を持った事を辞退の理由としています。
・イチロー
2001(平成13)年、メジャーリーグで日本人選手史上初となるMVPを獲得する活躍を見せた事により、第1次小泉内閣から授与を打診されましたが、“国民栄誉賞をいただくことは光栄ですが、まだ現役で発展途上の選手なので、もし賞をいただけるのなら現役を引退した時にいただきたいです”と辞退しました。
その後2004(平成16)年にもメジャーリーグのシーズン最多安打記録を更新した事から授与を検討されたが、同じ理由で再度固辞します。
美空ひばりに対する授賞など、没後追贈者が過半数を占めることについて“なぜ存命のうちに授与しないのか”との声も多く、また“政権浮揚が目的”、“贈られる側の賞ではなく、贈る側(政治家のため)の賞だ”、“政治利用はいかがなものか”などの批判もあり、顕彰の事務手続きを行う内閣府官僚も、“結局、時の政権が『国民栄誉賞を出したい』と言えば出さざるを得ない”といいます。
その一方で、国民の多くが受賞間違いなしと評価し、マスコミからも受賞を確実視されながら受賞に至らなかった人物の例もあり、評価基準が曖昧であるとの批判があるようです。
このように選出に関して一部批判もあるようですが、成し遂げられた偉業が素晴らしいことに違いはないので国民の一人としぜひ讃えましょう。
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