牛タンの日
「牛タンの日」は「牛(9)タン(ten)」の語呂合せで、仙台牛たん振興会が2006年に制定しました。
今でこそ牛タンは専門店が全国的に展開されているなど、庶民の味として有名ですが、実は牛タンの業界自体は元々はかなり閉鎖的なものでした。
牛タン専門店についてはお店ごとにこだわった調理法や秘伝の技があったりするなど、自分の店の味を守るためにあえて牛タンの専門店同士が積極的に関わるようなことはなかったようです。
そんな牛タン業界に危機を感じた仙台を代表する牛タンの名店が5社集まり「仙台牛タン振興会」が発足されることとなり、「団結して仙台名物の牛タンを守ろう」という思いから活動を続けた結果、現在では加盟店の数も100社以上となりました。
「仙台の食文化を守り引き継ぎ、全国の人々に本当に美味しい牛タン焼きを食べてもらいたい」という共通の思いをもって、牛タンに関する情報を発信するなど活動を行っています。
仙台はなぜ牛タンで有名になったのか
“牛タン”は、牛の舌部が食用に供される場合に用いられる名称で、日本では“仙台牛タン焼き”を指す場合もあります。
牛の漢音である“ギュウ”に、英語で舌を意味する“tongue(タン)”からなり、漢語と外来語から構成される合成語です。
数十センチの長さがあり、主に皮を切除した内部の正肉様の部位が食され、日本では焼肉用に長軸に対して薄切りされたり、牛タン焼きのために厚切りされたりします。
牛肉食文化が近代になって普及した日本ですが、もとは畜産副産物として牛解体時に生じる正肉以外の部分、モツ(内臓)をも食べる習慣の広がりとも相まって、牛タンは既に広く親しまれた食材でした。
そして日本で牛タンといえばまず宮城県の“仙台”が連想されます。
仙台駅に降り立つと構内では“牛タン通り”が待ち構え、街を歩けば牛タンの看板が至る所にあり、仙台市には延べ105軒の牛タン専門店があるといわれ、人口比で換算すると東京の13倍の軒数にもなるのです。
ところでなぜここまで仙台が牛タンの街となっているのか疑問に思った方もいるかもしれません。
創業1948(昭和23)年の“味太助本店”という牛タン焼きの発祥として有名なお店があります。
初代・佐野啓四郎氏は山形出身で、東京にて日本料理の修業し戦後に仙台で焼き鳥屋を開業、鶏だけでなく豚も焼いて、店は繁盛したのですが後から同じような店が次々とできて苦労したそうです。
ある日知り合いの肉屋からタンが余っているので使ってくれないかと相談され、試しに焼き鳥の台で焼いてみたところ驚くほど旨く、牛タン焼きの店を始める決意を固めました。
試行錯誤を重ね、さらに1991年の牛肉の輸入自由化で牛肉の価格が下がり、参入しやすくなったことや高度な調理技術が必要ないこともあって1990年頃から急増、仙台名物として定着したのです。
また牛タンが広まったもう一つの理由には、戦後にアメリカ軍が進駐していたことが関係しているという説もあります。
アメリカ人は牛肉をよく食べる食文化ですが、牛の舌や尻尾の部分は食べないため、その部分だけは余ってしまい、その余った舌や尻尾の部分を日本人が入手して食べるようになったというものです。
牛タン定食に牛テールスープが一緒に出てくるのはこういう理由からきています。
ただし、こちらの理由は嘘という意見もあり、アメリカ軍が食べるための牛肉がアメリカ本土から入荷される時には、舌や尻尾などの部分はわざわざ運んでこないという理由からです。
真実は定かではありませんが、牛タンの美味しさに違いはないのでぜひ食べましょう。
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