民間航空記念日
「民間航空記念日」は1951(昭和26)年のこの日に戦後最初の国内民間航空会社として設立された日本航空が、一番機の「ど星号」で東京~大阪~福岡間の運航を開始したことが由来です。
当時の日本には既に飛行機で人員を輸送する技術はあったのですが、>第二次世界大戦で敗戦してしまったことからGHQの統治下に置かれ、日本国籍の航空機の運航は停止されてしまいました。
1950年6月にようやくGHQによる日本の航空会社の運航禁止期間の解除がされたため、1951年に民間航空機が飛べるようになり、2年後の1953年には国内線のみならず、羽田空港発の国際線の運航が開始されます。
羽田空港からホノルルを経由しサンフランシスコへと向かう経路でした。
また1954年には羽田空港から沖縄への便も開通しましたが、これは当時沖縄が連合国の占領下にあったため、国内線ではなく国際線という扱いだったからです。
機長恐怖症候群という病気がある
“飛行機”とは、空中を飛行する機械である航空機のうち、ジェットエンジンの噴射もしくはプロペラの回転から推力を得て加速前進し、かつその前進移動と固定翼によって得る揚力で滑空及び浮上するもののことをいい、形状が固定翼機に似ていても、動力を持たず牽引されないと滑空しかできない航空機はグライダーと呼ばれます。
この飛行機を操縦するのは当然パイロットなのですが、自動車の運転でいうところの“前方の自動車までの車間距離を取る”や、“車線変更をするための状況を把握する”といったような、“自動車の運転手が外の状況を把握する行為”を担当するのは別の人になるのです。
航空機に搭載されているレーダーは前方30度くらいしか映らず、周辺を飛ぶ航空機をすべて把握することはできず、コックピットの視界もそれほどよくはありません。
仮に把握できたとしてもパイロットが多数の航空機がそれぞれの目的地に向かって超高速で飛行している空域を、他の航空機との安全を確保しながら飛行するのは非常に困難になります。
そこで航空機の置かれている状況を把握、管理するのが“航空管制官”という人たちです。
航空管制官はレーダーなどで常時航空機の位置や状況を把握し、飛行する方角、スピード、高度などを指示し、パイロットはそれに従って操縦します。
空を飛ぶ飛行機に比べて、地味な印象のある地上勤務の職業ですが、現代の航空機が安全に運行できるのはこの航空管制官がいるからなのです。
ですがパイロットが全く自分で判断しないわけではありません。
機体がトラブルを起こした時には、機長が現場にしかわからないことを判断、処理するケースも多くありました。
この“機長(キャプテン)”というのはコクピット内はもちろんのこと、機内では最高責任者であり、客室乗務員を含む乗員すべての指揮監督にあたる存在です。
副操縦士に操縦の技術と知識を指導するのもその役目のひとつです。
それが次第に拡大解釈されるようになって、機長は絶対権力を持つ神のような存在であり飛行中は他の運航乗員は機長の判断や操作に一切口出しできず、旅客機の操縦は実質的に機長1人がするものという固定観念にまで発展してしまいました。
日本ではそこまでないようですが、特にアメリカの民間航空界にはこの固定観念が根強く残っているようで、機長をあたかも神のように崇め畏れる結果、コクピットでは他のクルーは畏縮して何も言えず何もできず、あるいは機長の一言で混乱や動揺を強いられた結果、誤操作や事故につながることもありました。
アメリカでは“機長恐怖症候群”などという言葉も航空心理学で使われるほど問題視されており、状況の改善に取り組んでいるようです。
航空機の運行にはパイロットだけでなく、航空管制官をはじめとした地上勤務の人たちや、機内で接客を担当する客室乗務員など多くの人々が関わっています。
安全な空の旅ができるのは、それらの多くの人の目に見えない努力があるからということを改めて認識することは大事かと思われます。
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