国際移民デー
「国際移民デー」は国際デーの一つで、1990年のこの日に国連総会で「すべての移民労働者とその家族に人権保護に関する国際条約」が採択されたことから、2000年の国連総会で制定されました。
日本にもあった移民の歴史
“移民”とは異なる国家へ移り住む事象、また出生国や育った国といった居住国を離れて12ヶ月以上当該国へ移住して居住している人々を指します。
移住は長期にわたる居住を意味しており観光や旅行は通常含まず、1年以内の居住を指す季節労働者は移民として扱う場合が多いですが、際的に合意された“移民”の定義は実はまだありません。
最も引用されている定義は、国際連合(UN)の国連統計委員会への国連事務総長報告書(1997年)に記載されているもので、”通常の居住地以外の国に移動し、少なくとも12ヶ月間当該国に居住する人のこと(長期の移民)”をいい、この定義によると長期留学生、仕事での長期赴任者、長期旅行者も“移民”に該当します。
また、国籍に関する要件が含まれていないため、日本で出生した外国籍の保持者は通常の居住国は日本であるため移民ではありません。
国際移住機関(IOM)では“国内移動を含め自発的に他の居住地に移動すること”と定義しており、“非自発的な移住”として自分の意思に反して強制的に移動を余儀なくされる場合で戦争や内乱・武力紛争、人権侵害、自然災害などによって起こる難民、あるいは避難民、また人身取引の被害者、研修生や留学生で搾取を受けている人、自分の意思で移動してもその後に紛争に巻き込まれてしまったというケースなどを国際的な人道支援の対象としています。
日本にはなかなか移民というのは馴染みがないかもしれませんが実はかなり古い時代からありました。
遣唐使の阿倍仲麻呂のように求められて留まり唐で高官に出世した者もおり、労働力としての人の移動は室町時代には既に存在していたようです。
御朱印状による御朱印船貿易で、アユタヤ日本人町のような大規模な街を造る者たちもいました。
ですが、江戸時代に入り鎖国政策が採られて以降、江戸幕府は幕末まで移民を海外に送り込むことはありませんでした。
開国後の大日本帝国は第二次世界大戦後に至るまで労働力が過剰だったために、日本人移民を送出する側にありました。
明治元年(1868年)には駐日ハワイ総領事ヴァン・リードの要請を受けて、いわゆる元年者153名がハワイ王国に送られましたが、その待遇は劣悪極まりないものであったため国際問題に発展します。
その後、アメリカ合衆国本土やブラジル、ペルーやパラグアイなどの南米諸国等への移民が徐々に増加しますが、本統治下にあった地域への移住は“国内移住と同等”であると考え、移民とは呼ばないこともあるようです。
移住先の職業は農業の担い手だけでなく、道路建設などインフラストラクチャーの土木作業に従事する者も少なくありませんでした。
戦前・戦後を問わず、農業を目的とした移民が辿り着く先は、一から開墾すべき原野であることが多く困難なケースも多くあったようです。
中には開発の可能性が殆どない荒地に居住することを余儀なくされた、ドミニカ共和国への移民のようなケースも存在します。
ドミニカ共和国における日系ドミニカ人の場合には、当時の日本政府の喧伝内容と実際の現地の状況・待遇にかなりの相違があり、事実上の“棄民”ではなかったのかと後年日本の国会などで議論されています。
第二次世界大戦後に復興が進むと日本人の政策的な移民はあまり行われなくなりましたが、日本人が労働力としてアジアや北米などの海外に移住する現象は依然として継続はしており、2007年(平成19年)以降では日本の失業問題や労働環境の悪化に伴い、世界に職を求めて流出する若者が増加しており、ますます進んでいく少子高齢化・人口減少社会に拍車をかけてきています。
現在では日本に移民を進める動きもありますが、フランスやドイツのように移民が移民先の国で問題を起こすケースも多く、慎重な議論が求められています。
これは文化的な摩擦や失業などを背景に犯罪手段を形成、各種犯罪を起こすというものであり、移民を進める各国でもれなく起こっているようです。
安価で労働力を得られると聞けば聞こえはいいかもしれませんが、きちんとリスクを考慮し、慎重に政策の整備がきちんと進められるといいですね。
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