節分
「節分」は雑節の一つで、各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のことになります。
節分とは「季節を分ける」ことも意味しており、かつては立春・立夏・立秋・立冬のそれぞれの前日が節分とされていましたが、江戸時代以降は特に立春(毎年2月4日頃)の前日を指す場合が多くなりました。
旧暦では立春が1年の始まりとして重要視されていましたが、江戸時代の頃から1月1日が新年の始まりという考えが浸透し、立春は新年のお祝いではなく節分としてそのまま残ったということになります。
現在は毎年2月3日ですが、これは1985年から2020年までに限ることであり常にそうではありません。
というのも現在の暦では1年は365日となっていますが実際は365日よりも長いため、4年に一度閏年を設けて調整しています。
また立春は厳密には太陽黄経が315度となる日であり、祝日のように〇〇月の第〇〇曜日のように決められているわけではないので年によって日付がずれるため、立春の前日である節分も日付にズレが生じるのです。
実際に1984年までは4年に1度の閏年に2月4日が節分であり、2021年からは閏年の翌年に2月2日が節分となると予測されています。
数十年のスケールで徐々に前倒しになりますが、4で割り切れても閏年とならない1900年、2100年、2200年……の翌年に1日遅れて帳消ししているそうです。
節分に豆をまく理由
古来より季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられており、それを追い払うためのなんらかの悪霊ばらい行事が執り行われてきました。
『延喜式(えんぎしき:平安時代中期に編算された律令の施行細則)』によると、宮中での年中行事として彩色した土で作成した牛と童子の人形を大内裏の各門に飾っていたとされています。
これは平安時代頃から行われている“追儺(ついな)”から生まれたもので、元々中国から伝わった行が日本に定着していき、現在の節分の元となったようです。
当時は陰陽師らによって邪気を払うという“桃の矢”を射られ、この“桃の矢”への信仰は室町時代の頃まで続きますが、その後は“桃の矢”ではなく“炒った豆”を使用するようになりました。
当時穀物には生命力と魔除けの呪力が備わっていると信じられていたため豆が使用され、邪気を追い払い一年の無病息災を願うという意味合いがあります。
または語呂合わせで“魔目(豆・まめ)”を鬼の目に投げつけて鬼を滅する“魔滅”に通じるということも関係していたようです。
必ず“炒った豆”を用いるのとされ、これも上記のように“魔目を火によって退ける”という意味が込められています。
豆を撒き、撒かれた豆を自分の年齢(数え年)の数だけ食べる風習もあり、自分の年の数の1つ多く食べると体が丈夫になり、風邪をひかないという習わしがあるところもあるようです。
節分には豆まき以外にも恵方巻きや節分いわしなどを食べる習慣もありますので、用意してみてはいかがでしょうか。
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