フランス革命後の恐怖政治により、当時のフランスは毎日何百人もの人が処刑されていました。
当時の斬首には斧や刀が使われていたが死刑執行人が未熟な場合には一撃で斬首できず、囚人の首に何度も斬りつけるなど残酷な光景が展開されてしまうという酷いものでした。
そこで内科医で国民議会議員だったジョゼフ・ギヨタンが、受刑者に無駄な苦痛を与えずしかも全ての身分が同じ方法でできるような「単なる機械装置の作用」により行うよう議会で提言し、その案が採択されました。
つまりギロチンは“苦痛を長引かせたくないという純粋な善意”から生まれたのです。
外科医のアントワヌ・ルイが設計の依頼を受けて各地の断頭台を研究し、刃を斜めにする等の改良を加えました。
このため当初はルイの名前をとって「ルイゼット(Louisette)」とか「ルイゾン(Louison)」と呼ばれていましたが、この装置の人間性と平等性を大いに喧伝したギヨタンの方が有名になり、ギヨタンから名前をとった「ギヨチーヌ(Guillotine)」(ドイツ語読みで「ギロチン」)という呼び名が定着することになります。
ギロチンの第一号は、1792年4月にパリのグレーブ広場に設置され、それからというもののギロチンは休むことなく使い続けられました。
ギロチンが恐怖政治の象徴となってしまったのはそのあまりの「効率の良さ」が却って犠牲者を増やしたことが原因のように感じられます。
ナチス・ドイツでもギロチンを公式の処刑器具と認定され、史上最多の16,500人がギロチンにかけられました。
フランスでは1981年9月に死刑が廃止され、それとともにギロチンの使用もなくなります。
最後に使用されたのは1979年の9月で、実は割と近代まで使用されていたものでもあります。