日光の日

イメージ_空海像

「日光の日」は820(弘仁11)年のこの日、弘法大師が日光山を命名したことが由来です。

元々は「ふたらさん」と言い、「二荒山」の字が当てられていましたが、弘法大師がこれを「にっこうさん」と音読みにし「日光山」の字を当てたとされています。

弘法大師にまつわることわざ

“弘法大師”とは空海のことで、平安時代初期の僧であり、真言宗の開祖です。

弘法大師とは諡号(しごう)であり、921年に醍醐天皇によって付けられました。

日本天台宗の開祖である最澄(伝教大師)と共に、日本仏教の大勢が今日称される奈良仏教から平安仏教へと転換していく流れの劈頭に位置し、中国より真言密教をもたらした。

能書家としても知られ、嵯峨天皇・橘逸勢と共に三筆のひとりに数えられています。

弘法大師こと空海は上記の通り“弘法も筆の誤り”ということわざが生まれるほど、書家として有名でした。

空海は嵯峨天皇からの勅命を得、大内裏應天門の額を書くことになったのですが、“應”の一番上の点を書き忘れ、まだれをがんだれにしてしまいます。

しかし空海は掲げられた額を降ろさずに筆を投げつけて書き直した、というものです。

このことわざには、“たとえどんなに優れた技術をもっている人であっても間違うことはある”という意味だけが残っていますが、本来は“さすが大師、書き直し方さえも常人とは違う”というほめ言葉の意味も含まれています。

また空海にまつわることわざとして“弘法筆を選ばず”というものもあります。

これは文字を書くのが上手な人間は、筆の良し悪しを問わないという意味のことわざです。

ただし、空海の弟子によって編集された空海の漢詩文集である性霊集(しょうれいしゅう)には、よい筆を使うことができなかったのでうまく書けなかった、という全く逆の意味の言及もあります。

良い道具の選択が重要であることも世には多く、“弘法筆を選ぶ”のように全く逆に転じた言い回しも存在します。

弘法大師に関する伝説は、北海道を除く日本各地に5,000以上あるといわれ、歴史上の空海の足跡をはるかに越えているのです

民族学者であった柳田國男は大子(オオゴ、神の長男を意味)伝説が大師伝説に転化したという説を提出しています。

また中世、日本全国を勧進して廻った遊行僧である高野聖が弘法大師と解釈されたことも有力な根拠の一つです。

ただ、闇雲に多くの事象と弘法大師が結び付けられたわけではなく、その伝説形成の底辺には、やはり空海の幅広い分野での活躍、そして空海への尊崇があると考えられます。

弘法大師にまつわる伝説は寺院の建立や仏像などの彫刻、あるいは聖水、岩石、動植物など多岐にわたりますが、特に弘法水に関する伝説は日本各地に残っています。

弘法大師が杖をつくと泉が湧き井戸や池となった、といった弘法水の伝承をもつ場所は日本全国で千数百件にのぼるといわれており、弘法水は場所やそのいわれによって、“独鈷水”、“御加持水”などと呼ばれています。

もしかしたらまだ発見されてない、弘法大師由来の泉や井戸が残っているかもしれませんね。

 


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