文化の日
「文化の日」は、1946(昭和21)年のこの日に平和と文化を重視した日本国憲法が公布されたことを記念して、1948(昭和23)年公布・制定の祝日法で「自由と平和を愛し、文化をすすめる」という国民の祝日に定められました。
「文化の日」が制定される以前も実は11月3日については祝日となっており、1873(明治6)年には「天長節」という名前の明治天皇の誕生日による休日、1927(昭和2)年に改正された休日ニ関スル件でも11月3日を「明治節」としていてこちらも明治天皇の誕生日が由来となっている休日になります。
このように11月3日は元々は明治天皇の誕生日であることから、「文化の日」を「明治の日」に改称しようとする運動も起きているそうです。
ちょんまげ文化の盛衰
“文化の日”とは日本の国民の祝日の一つで、明治天皇の誕生日にあたり、明治期には天長節、昭和初期には明治節として祝日となっていた日です。
文化の日は国民の祝日に関する法律(祝日法)第2条によれば“自由と平和を愛し、文化をすすめる”ことを趣旨としています。
1946(昭和21)年に日本国憲法が公布された日であり、日本国憲法が平和と文化を重視していることから、1948(昭和23)年に公布・施行された祝日法で“文化の日”と定められました。
日本国憲法は、公布から半年後の1947(昭和22)年5月3日に施行されたため、5月3日も憲法記念日として国民の祝日となっています。
この日には皇居で文化勲章の親授式が行われるほか、海上自衛隊で基地・一般港湾等に停泊している自衛艦において“満艦飾”が行われたり、文化庁主催による芸術祭、全国の美術館や博物館において様々な催し物が開催されます。
また、晴天になる確率が高い“晴れの特異日”ともされています。
日本の文化にも様々ありますが、江戸時代などの侍や武士の文化は外国人にも人気があり有名です。
かつて侍は“ちょんまげ(丁髷)”を結っており、我々日本人はもう見慣れてなんとも思いませんが正直変な髪型ですよね。
このちょんまげの侍の代表的なイメージが強くありますが実は平安貴族にルーツがあります。
飛鳥時代(592年~)に“冠”をする文化が中国からもたらされ、主に貴族の間で冠や烏帽子(えぼし)をかぶるという文化が広まっていきました。
当時烏帽子は漆を使って形を整えていたので、頭が蒸れやすくなってしまったそうです。
そこで、蒸れを防止するために髷(まげ)の原型となる髻(もとどり)が考案されました。
髪を集めて後頭部で束ねた形で、現在手言うとポニーテールに近い形になり“冠下の髻”とも呼ばれます。
その後平安時代末期(~1185年頃)になり、武士が次第に力を持つようになりました。
当然戦も起こるのですが戦時にかぶる兜が蒸れやすく、蒸れを解消するために前頭部から頭頂部にかけて髪を剃りあげて兜をかぶり始めます。
これが良く知られている頭を剃り上げて残った髪を結うスタイルの発祥であり、剃り上げた部分を月代(サカヤキ)、結った部分を髷と呼びます。
戦国時代になるとこのスタイルが定着しましたが、あくまでも戦時のスタイルなので平時は剃り上げていなかったようです。
江戸時代に入ると戦ほとんど無かったので、剃り上げる必要もなくなり髪は伸ばしっぱなしになりました。
しかしその汚らしい格好が次第に嫌われていき、武士達は日常から月代にし髷を結うようになったのです。
ここで日常的に頭を剃り髷を結う文化が定着しました。
武士が始めた日常にちょんまげのスタイルは市民にも広まり、様々なお洒落要素を取り入れたり、職業によって流行のスタイルがあったりしたようです。
髷結いという職業もあるほどちょんまげというのは大衆文化として根付いていたのでした。
しかし明治時代に入ると散髪脱刀令が出たことからちょんまげの文化は一気に廃れてしまいます。
断髪令を受けて明治6年に明治天皇が散髪を行い、役人を中心に髷を結わない人たちが増えていきました。
現在では力士が髷を結いますが頭を剃り上げるスタイルではなく、いわゆるちょんまげというのは時代劇などで見かけるのみとなってしまいました。
1,000年以上もかけて浸透した文化がこうもあっさりと無くなってしまったのは少し残念な気もしますが、今更復活されても浸透することはないと思います。
せめてメディアの中だけでも存続してもらいたいものですね。
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