世界KAMISHIBAIの日

イメージ_紙芝居

「世界KAMISHIBAIの日」は2001年のこの日に「紙芝居文化の会」が創立されたことが由来です。

「紙芝居文化の会」には日本独自の文化である紙芝居を愛する人を始めとして、興味のある人や実際に演じてみたい人などが参加しており、日本人だけでなく国境を越えて様々な国の外国人も参加しています。

会員が紙芝居を研究して学び合い、その魅力を日本のみならず世界中へと広めることを目的としてこの「世界KAMISHIBAIの日」が制定されたのです。

このように紙芝居は国境を越えるものとして、紙芝居を通じて国内だけではなく国際交流も深めたいとの願いから漢字ではなくアルファベット表記にされています。

紙芝居の歴史

“紙芝居”とは絵を見せながら演じ手が語って進める芝居的パフォーマンスのことで、主に子供たちを対象にした簡易的な芸能になります。

明治時代以降存在した“立絵”の紙芝居と、世界恐慌時代に立絵が廃れた後で誕生した“平絵”の紙芝居とに大きく分けられますが、今日では単に“紙芝居”と言う場合平絵の紙芝居を指すようです。

台本に沿って描かれた数枚から十数枚の絵をその筋書きに沿って揃えて重ね合わせ、演じ手は1枚目から順に観客に見せながら筋書きと台詞を語っていき、見せ終わった絵は横に引き抜いて裏に回し物語を展開させていきます。

現在の日本で隆盛を誇るマンガは紙芝居の“語り”や動きを“絵”に書き込んだものと見ることもできます。

古来より日本には“絵解き”という絵を見せながら物語を語って聞かせる伝統がありました。

かの“”源氏物語”にも女房が姫君たちに絵巻を見せながら物語る場面があり、寺では僧侶が曼荼羅や寺の縁起をこの“絵解き”で参拝者たちに語って聞かせていたそうです。

時代が流れ江戸時代から明治・大正にかけては、小さな穴から箱の中の絵を覗くのぞきからくり縁日の見世物小屋で楽しまれました

絵だけではすぐあきられるので、これに語り(のぞきからくり節)をつけたものが人気を博します。

また、同じ時期に寄席や縁日で楽しまれた写し絵、手影絵、影絵眼鏡もまた、“絵を見せながら語る”という点で紙芝居の源流と言うことができるかもしれません。

写し絵は和紙のスクリーンにガラス板に描いた絵を投影する幻灯の一種でしたが無声映画の登場で廃れてしまいます。

“写し絵”が廃れた後、興行師であった丸山善太郎が立絵紙芝居を考案し、当初は祭礼縁日の小屋掛け興行だったものの、1901(明治34)年頃になると小型の舞台を担いで街頭で上演する“街頭紙芝居”が登場します。

人気の題目は“西遊記”でその他は歌舞伎に題材をとったものが多く、大人向けのものも多かったようです。

大正期に入ると人気は廃れますが、1923(大正12)年の関東大震災後は子どもの娯楽として再び人気となります。

その流行から警察の取り締まりの対象となり、見料を取るかわりに飴を売って代金を徴収するというやり方が広まったのもこの頃です。

1929(昭和4)年には浅草区菊屋橋警察署管内で立絵紙芝居そのものが禁止されると、後藤時蔵によって絵を見せながら解説し、飴を売るという“平絵紙芝居”が考案されました。

1935(昭和10)年の東京市の調査によれば、市内だけで約二千人の紙芝居業者が居たとされていますが、子供の興味をひきつけるための荒唐無稽なストーリーや過激な表現が教育上問題とされるようになり、また路上で水飴や煎餅を売り歩いていたことで衛生上の問題も指摘されていたようです。

さらに、この“紙芝居屋が町を回って子どもを集め駄菓子を売って紙芝居を見せる”という営業形態が成り立つのは、小銭を持って子どもが簡単に集まってくる場所に限られ、ただでさえ娯楽の少ない農村には紙芝居はありませんでした。

やがて紙芝居を教育目的に取り入れようとする動きが生まれてきます。

教会の日曜学校で伝道活動をしていた今井よねは子供たちが街頭紙芝居を楽しんでいるのを見て、1933(昭和8)年に“紙芝居刊行会”を設立して紙芝居“クリスマス物語”を制作、これが日本初の従来の手描きではなく印刷物による紙芝居となります。

戦時中は戦意高揚のプロパガンダとして国策紙芝居が全国で演じられました。

戦後はGHQがメディアの検閲を始め紙芝居も大量処分され、検閲印の押されたもののみが実演許可されます。

1946(昭和21)年頃から復活した街頭紙芝居は人気を集めたものの、エロ・グロ描写によりたびたび問題とされるようになり、やがてテレビが普及すると街頭紙芝居はその姿を消し再び表舞台に立つことはありませんでした。

近年では国内ではなくラオスやベトナムなどに紹介され楽しまれるようになってきており、また国際協力NGOのジョイセフなどを通じてタンザニアの村にてエイズ教育活動に紙芝居が用いられています。

このように海外で活用されたり、国内では一部の紙芝居の興行師が多忙を極めるなどしていますので、再び紙芝居がスポットライトを浴びる日が来るかもしれませんね。

 


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