チャップリンが日本に初めて訪れたのは1932年5月14日で、この次の日は歴史的事件でもある「五・一五事件(5・15事件)」があった日です。
その日のターゲットとして、チャップリンも含まれていました。
五・一五事件(5・15事件)とは政治問題に不満を持っていた海軍の青年将校らが、時の内閣総理大臣である犬養 毅(いぬかい つよし)を殺害する事件です。
チャップリンが犬飼首相と面会することを知った将校らは、「日本に退廃文化を流した人物」としてチャップリンの殺害も計画していました。
5月15日当日、彼は総理との面会をキャンセルし相撲観戦へと足を運んでしまいます。
事件発生当時は観戦後の散歩を楽しんでいたようです。
チャップリンのモノマネ大会に参加していた
喜劇王であり映画監督のチャーリー・チャップリンの凄まじい人気によって、アメリカ中を熱狂の渦に巻き込み、国中いたるところでチャップリンのモノマネが流行っていました。
チャップリンのそっくりさんコンテストがひとつのエンターテイメントとなっており、風貌だけでなく、あの独特の帽子、ちょびひげ、ステッキを身につけ、誰が一番本物そっくりにチャップリンのマネが出来るかで人気を博しました。