札幌農学校(現:北海道大学)にて初代教頭を務め、植物学や自然科学を英語で教えた人物です。
また、学問以外ではキリスト教の布教活動も行っており生徒の多くはキリスト教の信者となりました。
日本で教育を行った期間はわずか8ヶ月ながら、その影響力は後世にまで語り継がれています。
当時、札幌農学校の生徒は戊辰戦争に敗れた旧幕府軍側の元武士が多くいました。
彼らは元武士というプライドから農民と同じ仕事をすることに抵抗を見せますが、クラークの情熱的な指導により酪農への魅力を感じていきました。
これが北海道が酪農そして農業の発展に繋がったことから「北海道開拓の父」とも呼ばれています。
「少年よ、大志を抱け」には続きがある
クラーク博士が残したこの言葉には続きがあります。
当時、全てを聞き取れるような語学力がまだなかったため諸説あるようですがこのような内容だそうです。
「少年よ、大志を抱け。けれどお金を望み、私欲を満たし、名声を求める大志であってはならない。人間が本来持つべきもののために大志を抱け」
決してお金や名誉を追い求める人生ではなく、常に学ぶ姿勢を忘れずに人の役に立ちましょうという内容だと思われます。
日本を去った後
日本から本国アメリカに戻った後に、クラーク博士は世界一周する船の上を教育の場としようとします。
そして、洋上大学の設立を構想しますがあまり賛同が得られず資金難によって頓挫してしまいました。