女子大は女性専用の大学ですが男子専用の大学は存在しません。
これは大学自体が男子の教育機関であるという考えが存在していたからです。
現在では信じられない事ですが、この当時の明治時代では男尊女卑が当たり前でした。
そんな時代なので女子の立場は弱いものであり男の言うことを聞いていればよく、文字の読み書きは必要ではないとされていました。
さらに女子は弱いままでよく知恵をつけて扱いが難しくなることを危惧され“女子に高等教育は有害である”とまで当時では言われていたようです。
ただしそんな当時の考えを日本女子大学校の創始者である成瀬仁蔵は否定しました。
彼はアメリカに留学しそこで学んだことから女子も高等教育が必要であると強く思ったようです。
そこから大隈重信や伊藤博文などの支援を受け、1901年に日本女子大学校を創設することが出来ました。
当時の学部としては、家政学部、国文学部、英文学部の3つがあったようです。