ご存知の通り伊能忠敬は人生50年と言われていた時代に、50歳を過ぎてから17年をかけて日本中を歩いて実測による精巧な地図を作った人です。
それまでにも日本の地図は存在していましたがかなり精度の低いものでした。
伊能忠敬の地図は“ついで”に作ったものとなります。
本当の目的は“地球の直径が知りたかったから”で、地球の直径を知るついでに日本地図を作ることになったのです。
かつて伊能忠敬は50歳を過ぎ隠居してからは興味があった天文学を学ぼうと江戸に出ます。
そこで天文学の第一人者であった「高橋至時(よしとき)」という男(32歳)の門下生になり、そこから測量と天文観測を学びます。
当時門下生たちの間で興味津々だったのは地球の直径で、丸いことは分かったけど実際にどれくらい大きいんだろうということでした。
そこで伊能忠敬が“北極星を2つの場所から観測してその角度が分かれば算出できるはず”と提案します(三角測量)。
正確に調べるには2つの地点は距離が必要であり“江戸と蝦夷(北海道)くらい離れていれば良いのでは”と考えます。
しかし当時の蝦夷へ行くには幕府の許可が必要でありその名目として“正確な地図を作って日本の役に立ちたい”と幕府に依頼して受理されたのです。
伊能忠敬は3年間をかけて東日本の測量を終えて江戸に戻り実測値をもとに計算、割出した地球の外周は約4万Kmで、現在判明している外周と比較し1/1000の誤差しかなかったといいます。
伊能忠敬の持ち帰った東日本の地図を見た江戸幕府は西日本の地図も作成するよう命じます。
体力的にも衰えていましたが、幕命に従い新たに西日本を周ることとなりました。
東日本こそ3年で済みましたが西日本は予想以上に広く実に10年の歳月を費やし、江戸へ戻ってきた時にはすでに70歳でした。
彼が足掛け17年で完成させた日本地図、この為に周った距離はなんと4万kmにもなります。
奇しくも彼が求めた地球の外周と同じ距離でした。