佃煮の日
「佃煮の日」は佃煮の発祥の地である東京・佃島の氏神・住吉神社が創建されたのが正保3(1646)年6月29日であることから。全国調理食品工業協同組合が2004年に制定しました。
佃煮の歴史
“佃煮”とはとりわけ小魚、アサリなどの貝類、昆布等の海藻類、山地ではイナゴ等の昆虫類などを醤油・砂糖等で甘辛く煮染めた食べ物です。
シソやゴマなどを加えることもあり、牛肉の佃煮も存在し、一般的にはご飯と一緒に食べることが多いとされています。
その起源は歴史をさかのぼること400余年ほど昔、江戸の佃島(現在の東京都中央区)の漁民が、江戸前で捕った小魚や貝類を甘辛く煮て食べていたことになります。
当時、冷蔵庫なんてものはもちろんなく、佃島漁民が、売り物にならない小魚等を保存もできる形で美味しく調理したのが“佃煮”という名前の由来で、不漁の際の備蓄食品でもあったといいます。
これが、安価で日持ちもすると江戸中で評判を呼び、やがて全国に広まっていきました。
また佃島の漁民は徳川家康の特別の庇護を受けていたともされています。
というのも1582年6月2日早朝、明智光秀の謀反によって織田信長が本能寺で倒れた時、家康の一行はわずかな手勢とともに堺にいました。
見つかれば、当時信長の同盟であった家康も当然標的になります。
なんとしても岡崎城へ戻りたい家康一行は決死の覚悟で脱出奇策をとりました。
ところが神崎川(現在の大阪市住吉区)で川を渡る舟が無く足留めを食らいます。
ここに現われたのが、近くの佃村の庄屋・森孫右衛門を筆頭とする漁民達でした。
手持ちの漁船と、不漁の時にとかねてより備蓄していた大事な小魚煮を道中食として用意したのです。
気候の悪い時期に人里離れた山道や海路を必死に駆け抜けねばならない一行にとって、この小魚煮がどれだけ身を助け
てくれたか、ありがたいものだったかは、言うまでもありません。
以来、佃村の人々に対する家康の信任は、特別なものになるのです。
徳川家康が江戸に入来の際は、摂津の佃村に住んでいた漁民たちを江戸に呼び寄せ、特別の漁業権を与えました。
また後の大阪の陣に備えて、佃村の漁民に大名屋敷の台所へ出入りできる特権を与え、大阪方の動向を探る隠密の役割をつとめさせたという言い伝えもあります。
関東の佃煮に対して関西では時雨煮というものが存在し、こちらの起源も佃煮と同じ頃で、生姜を加えた佃煮の一種です。
略して時雨と呼ぶことも多く、貝のむき身などの魚介類や牛肉などが材料として使われます。
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