劇画の日
「劇画の日」は1964(昭和39)年のこの日、青林堂が劇画雑誌「ガロ」を創刊したことが由来です。
「ガロ」という雑誌名については、我々の路を進むということで「我路」が由来となってつけられた雑誌名だそうです。
白土三平の「カムイ伝」を始め、水木しげる、つげ義春等が登場し、大人向けの劇画ブームのきっかけとなりました。
しかし、『カムイ伝』をが連載を終了したことで劇画雑誌「ガロ」の売り上げが徐々に伸び悩むようになり、経営状態の悪化から連載作家の原稿料を支払うことができない時期も出てきたことから、2002年をもって休刊となりました。
劇画とは
“劇画”とは、それまでの漫画から一線を画した漫画表現の手法で、青年向け漫画を子供向けの漫画と異化・区別させるために作られたジャンルでもあります。
「劇画」という名称は漫画家辰巳ヨシヒロの考案によるものであり、“劇画工房”という劇画作家集団の誕生以降の劇画ブームによって世間一般に名称が定着しました。
従来の漫画はあくまで子ども向けであり、辰巳らは自分たちの作品がそのような評価を受けることを極端に嫌っていたそうです。
貸本劇画の読者層は労働者階級の若者であり、また劇画工房のメンバーも同じような階層の若者でした。
作風としてはハリウッド映画や、ハードボイルド小説の影響が大きいとされています。
劇画の技術的な手法としては、カメラワークを使ったコマ割りが挙げられます。
俯瞰や煽りで三人称視点を取り入れたダイナミックな視点からの描写(それまでの漫画の視点はほぼ正面固定だった)、人物のアップによる内面心理描写(それまでの漫画の世界では人物のアップは手抜きと見なされていた)などです。
また、太字で強調された擬音や、効果線、集中線を使った演出、同じシーンを連続的にコマに描くことによって時間経過を圧縮する演出なども劇画工房の開発によるものになります。
これらの技法はすぐに模倣されて漫画の一般的な技法として定着し、劇画の独自手法として見なされなくなってしまったため、世間一般には後の劇画雑誌ブームの際に流行した“描線の多いリアルタッチな画風の漫画が劇画である”というステレオタイプなイメージが残りました。
劇画工房のメンバーであったさいとう・たかを曰く、“本来、絵は劇画の条件には含まれていない、デフォルメされた絵、少年・少女向けの絵でも構わないもの”であったが、“劇画黎明期を支えた面々が第一線から消え、さいとうのみが残ってしまったため、さいとう調の絵が劇画だと世間が誤解し、定着してしまった”とのことです。
事実、劇画黎明期を支えた代表的作家辰巳ヨシヒロや松本正彦の絵は一般的な“劇画調”のイメージとは異なりますし、一般的には劇画家の範疇に含まれないつげ義春や水木しげるも若い頃には貸本劇画を手がけていました。
劇画ブーム後も生き残ったベテランや、その後デビューした劇画家によって今も作品は描かれてはいますが、“ジャンルとしての劇画”は低迷しているのが現状です。
1995(平成7)年には辰巳ヨシヒロが自伝漫画である『劇画漂流』を発表、自らの経歴を振り返ると共に、ブーム以降に誤解された劇画のイメージを回復させるべく活動を始めました。
現在の漫画の多くは少なからず劇画の影響下にありますが、漫画と劇画を分離して呼称するという提唱は未だに実現しておらず、包括的な呼称としてなお漫画が用いつづられています。
一般的な漫画も面白いのですが、劇画にも良い作品が沢山ありますので是非読んでみましょう。
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