傘の日
「傘の日」はこの日が雑節の一つ「入梅」になることが多いことから、日本洋傘振興協議会(JUPA)が1989年に制定しました。
傘のファッション性や機能性についてなど、傘の魅力を紹介するような活動を行なっているそうです。
昔も今も変わらない傘
“傘”とは、ご存知の通り雨・雪・日光などが体に当たらないよう、頭上に広げ差しかざすもので、日本中の年間消費本数は約1億3千万本といわれています。
竹や金属などの骨に紙や布などを張り、柄をすえて開閉ができるようにしたもので、“笠”と区別するために“さしがさ”ともいうこともあります。
近代、様々な物が進化を続け形や役割などを変えていっていますが、この“傘”という道具は形状や役割といったものはここ数百年ほとんど進化していません。
日傘、雨傘、和紙、ナイロン、用途や材質は違っても基本構造は昔から変わっていないのです。
歴史が浅いからでは?と思うかもしれませんが、日傘としての使用はすでに約4000年も前に始まっており、エジプトやペルシャなどに、それを証拠づける壁画などが発見されています。
当時は雨具ではなく、貴族や高僧の日よけとして使われていて“尊い人を日差しから守るとともに権威の象徴”として使われていました。
日本の傘の歴史は明治時代にイギリスやイタリアから輸入された“西洋傘”と“和傘”のふたつルーツを持っており、木と紙でできた“和傘”と布などでできた“洋傘”の両者が互いに影響しあって現在の形になったと考えられています。
日本で古くから存在する“和傘”は、中国から伝えられたとされています。
雨の多い日本で傘は必需品で古来より和傘が使われており、絵画資料としては源氏物語絵巻におそらく最も古い“和傘”が描かれているのです。
室町時代になるとその和紙に油を塗って防水を施し、雨傘としても使われるようになりました。
和傘が閉じる事ができるようになったのは安土桃山時代ですが、広く一般に使われだしたのは分業制の発達した江戸時代中期以降のことであり、それ以前の庶民の雨具といえば菅笠(すげがさ)と簑(みの)でした。
元禄年間からは柄も短くなり、蛇の目傘がこの頃から僧侶や医者達に使用されるようになり、雨天時に屋号をデザインした傘を客に貸与して、店の名前を宣伝して貰うといった事も行われたほか、歌舞伎の小道具としても使用されるようにもなります。
明治時代に入ると洋傘が使われ始めたため急激に衰退し、現在では和傘の産地として有名な岐阜をはじめ、京都、金沢、徳島、鳥取などに少数の和傘製造店が残るだけです。
かつて上記の通り古代エジプト、ペルシャ、インドなど、古代文明発祥の地では国王を太陽の日差しから守るために用いられていました。
傘が一般的に使われるようになったのはギリシア時代ですが、当時の傘は閉じることが出来ず、現在の開いたり閉じたりできる傘は13世紀にイタリアで作られたといわれています。
18世紀頃にイギリスで現在の構造の物が開発され、大幅に普及しました。
江戸時代、洋傘はいわゆる舶来品と呼ばれ、まだまだ高嶺の花で一部の武家、医師、洋学者たちが使用していた程度であり、一般庶民には手の届かない物だったそうです。
当時のその黒色の洋傘の形状がコウモリに似ている所から、“蝙蝠傘”(こうもりがさ、或いは略称で“こうもり”)と呼ばれるようになります。
1870(明治3)年には大阪府で傘の着用を禁じた“百姓町人の蝙蝠傘、合羽、またはフランケットウ着用禁止令”が発令されました。
これは傘を持つ姿が、明治維新で禁止された帯刀の姿と間違えやすいことが名目でありましたが、武士と同じような服装をし始めた町人階級を牽制する意味が強かったようです。
現在でも楕円形のツインアンブレラや濡れた面が内側になる逆開きの傘など、様々なタイプの傘が登場していますが、基本的な構造や形は傘が生まれた4000年前とさほど代わってはいないようです。
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