世界難民の日
「 世界難民の日」は国際デーの一つで、1974(昭和49)年のこの日「アフリカ統一機構難民条約」が発効したことから、国連が2000(平成12)年12月に、それまでの「アフリカ難民の日」を改称して制定しました。
「世界難民の日」を制定することによって、難民の保護と援助に対する世界的な監視委を高めることを目的としているそうです。
世界で難民問題は深刻化しており、2005年時点では3750万人だと発表されていましたが、2014年には5950万人まで増えたとされており、難民を受け入れる国も現れる中、難民を受け入れた事によって治安が悪化したり、様々な問題が生じて元々住んでいた国民に被害が出てしまうなどの問題も発生しています。
“難民”の現状
1951年の“難民の地位に関する条約”では、“人種、宗教、国籍、政治的意見やまたは特定の社会集団に属するなどの理由で、自国にいると迫害を受けるかあるいは迫害を受ける恐れがあるために他国に逃れた”人々と定義されています。
今日、難民とは政治的な迫害のほか、武力紛争や人権侵害などを逃れるために国境を越えて他国に庇護を求めた人々を指すようになっています。
また、紛争などによって住み慣れた家を追われたが、国内にとどまっているかあるいは国境を越えずに避難生活を送っている“国内避難民”も近年増加しているようです。
世界には、日本の人口の約半数に当たる6,530万人が故郷を追われています。
シリアや南スーダンなど新たな危機の頻発や人道問題の長期化により、近年、難民となる人は増えています。
たとえば、紛争勃発から6年目になるシリアは、国民の約25%である549万人が国外に逃れました。
1978年に始まった紛争でイランに逃れたアフガニスタン難民の避難生活は、30年以上にも及びます。
歴史を振り返ると、いつの時代も“難民”は存在してきました。
しかし“難民問題”として国際社会に注目されるようになったのは、 ロシア革命やオスマン帝国の崩壊などで難民が急増した第一次世界大戦以降のことなのです。
第二次世界大戦中にはホロコーストが起き、難民を保護する必要性がより高まりました。
第二次世界大戦後の1950年には、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が設立され、1951年には難民条約が生まれました。
一見遠い外国での話しのように思えますが、日本でも消極的ながら難民は受け入れており、過去には難民に対して大きく門戸を開いた時期がありました。
1970年代後半から、ベトナム戦争終結前後にインドシナ三国(ベトナム・ラオス・カンボジア)から逃れた“ボート・ピープル”と呼ばれる人々を1万人以上を受け入れてきました。
それがきっかけで、日本は1981年に難民条約に加入、2010年には第三国定住難民受け入れを開始し、難民キャンプなどに暮らす人々を年間約30人を受け入れています。
ですが日本の難民認定はかなり厳しいものであり、2017年は19,623人が難民申請を行いましたが、認定されたのはわずか20人でした。
日本では、難民認定の実務を法務省入国管理局が担っているため、難民を“保護する(助ける)”というよりは、“管理する(取り締まる)”という視点が強いといえます。
国際基準と比較すると、だれが“難民”かを決める認定基準や、公平性、透明性を確保した手続きの基準、難民の受け入れ体制などが不十分です。
もうひとつの理由として、難民問題が日本社会で十分に知られていないこともあげられます。
難民を治安悪化や社会のリスクとつなげるなど、難民受け入れに関する根拠のない誤解や偏見も、現状の厳しい受け入れ状況を後ろ支えしているのかもしれません。
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