米の日
「米の日」は「米」の字を分解すると「八十八」になることから、1998年に岩手県農政部農産物流通課が制定しました。
また、「米の日」については8月8日とする説や、毎月8日とする説、8の付く日すべてとする説など様々あります。
ここまで「8」という数字が米に関係しているのかというと、米という漢字を分解すると「八十八」となること、そして米は田植えをしてから収穫するまでに88の作業をしなければいけないことなどが関係しています。
主食の白米化によって流行った病
“米”とは、稲の果実である籾から外皮を取り去った粒状の穀物であり、穀物の一種として米穀(べいこく)とも呼びます。
東アジア・東南アジア・南アジア以外では一般的に主食として特別視することが希薄であり、日本語でいう“米”、“稲”、“飯”といった、収穫前・収穫後・調理前・調理後などによる区別がない言語が多数存在し、英語圏ではすべて“rice”という同一の単語で扱われます。
稲は原産地の中国中南部から北部、南アジアに、そして日本へと伝わってきました。
麦などの他の穀物に比べて栄養価が高く、ほぼ完全食(それだけで健康を維持するのに必要な栄養を含む食品、食事)であり、大量に収穫できることから、アジアの人口増大を支える原動力となります。
かつて長い間、日本の庶民の“ご飯”は玄米が中心で、白米は身分の高い人しか食べられませんでしたが、江戸時代に入ると流通システムの発展によって、江戸の庶民の食卓に白米が現れ始めます。
“江戸には仕事もあって、しかも白米が食える”とあって、地方から人が集まり始めます。
江戸の人口増加の最たる理由は白米、とまで言い切る学者筋もいるほどなのです。
ちなみに“一日三食”の習慣も、玄米などに比べて消化されやすい(=腹持ちが悪い)白米の普及によって生まれたという説もあります。
しかしここで、奇妙な問題が持ち上がりました。
江戸を訪れた地方の侍や大名を中心に、江戸に行くと体調が悪くなる、足元がおぼつかなくなる、怒りっぽくなる、場合によっては寝込んでしまう者が続出、これが故郷へ帰ると簡単に治ったこともあって“江戸煩い”と呼ばれる病が流行るのです。
明治に入って解明されたのですが、この病は“脚気(かっけ)”、つまりビタミンB1欠乏症のことになります。
胚芽部分に含まれるビタミンB1をそぎ落としてしまう白米中心の食事が原因となり、江戸を離れると麦や穀物、野菜などを中心とした食生活に戻るため、自然と回復したわけです。
生類憐れみの令で有名な五代目将軍綱吉も江戸煩いに悩まされていました。
従三位だった時代に江戸煩いにかかりますが、占い師の指示によって練馬に御殿を建てて転地し、さらに“素足で土を踏むように”という主治医の指示が出たため、畑を作りました。
生母は尾張から大根の種を取寄せて撒き、畑仕事が珍しかった綱吉は日々畑に出向いたそうです。
出来た大根などの新鮮な野菜を食べて回復した綱吉は練馬の地を出ていきましたが、大根畑だけは残り、それが“練馬大根”のルーツといわれています。
三代目将軍家光も米に関するエピソードがあります。
家光は幼い頃から偏食で体が弱く、食欲不振に陥りやすい家光のために、献立を考えた人がいました。
乳母であった春日局です。
白米ではなく、菜飯、湯取(水気多めで炊いたのち、水洗いして再び蒸した飯)、茶飯、粟飯、麦飯、小豆飯、引き割り飯(臼でひいた麦をまぜた飯)の7種を混ぜたご飯が食卓に上りました。
ビタミンB1だけでなく食物繊維も多く含まれていますので、消化が遅い、つまりゆっくりと時間をかけて栄養が吸収される、理に叶ったご飯だったといえます。
これが四代目将軍家綱から4種になり、幕末まで続いたそうです。
100g中のビタミンB1含有量は、白米がおよそ0.1gなのに対し、玄米は0.5g、米ぬかに至っては2.5gもあります。
現代では米以外の食物によってビタミンB1が摂取され、欠乏症になることは少ないかもしれません。
玄米、五穀米など白米以外のお米も多数ありますので、たまにはそれらを食べてみるのも良いかと思います。
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