国際識字デー
「国際識字デー」は国際デーの一つで、1965年のこの日にイランのテヘランで開かれた世界文相会議でイランのパーレビ国王が軍事費の一部を識字教育に回すことを提案したことを記念してユネスコが制定しました。
「識字」とは、「文字の読み書きができる」という意味で、現在世界には戦争や貧困等によって読み書きのできない人が10億人以上いると言われています。
非常に高かった江戸時代の日本人の識字率
“識字”とは日本では読み書きとも呼ばれ、読むとは文字に書かれた言語の一字一字を正しく発音して理解できる(読解する)ことを指し、書くとは文字を言語に合わせて正しく記す(筆記する)ことを指します。
何をもって識字とするかには様々な定義が存在しますが、ユネスコでは“日常生活で用いられる簡単で短い文章を理解して読み書きできる”状態のことを識字と定義しています。
その歴史において文字を持たなかった文明においては識字という概念が存在しないのは当然なのですが、文字を発明または導入した文明においても古代から中世における識字率はどこも非常に低いものでした。
文字を記し保存する媒体、およびそれを複製する手段に制限があったため、文字自体の重要性が低く、社会の指導層を除いて識字能力を獲得する必要性が少なかったためです。
こうした状況は紙の発明によって媒体の制限がやや緩んだものの、どの社会においても中世にいたるまでほとんど変わりませんでした。
世界最古の文明のひとつであるメソポタミアではすでに文字が発明されており、各都市では学校が設立され書記が養成されて行政文書の作成にあたっていたものの、文字の読み書きは特殊技能であり書記以外のほとんどの人は文字の読み書きができず、識字率は非常に低かったと考えられています。
中世ヨーロッパでは後期に入ると知識階級の間ではローマ教会の公用語であったラテン語の読み書きが広まり、ヨーロッパ内で知識人たちは自由にやり取りをすることが可能となっていきましたが、一般民衆には全く縁のないものでした。
教育、特に高等教育はすべてラテン語で行われ、書物もラテン語で書かれ、聖書もラテン語で書かれるものであり、一般民衆がこれらを読むことは非常に難しいものとなっていたようです。
一方で日本はどうでしょうか。
1443年に朝鮮通信使一行に参加して日本に来た申叔舟は、“日本人は男女身分に関わらず全員が字を読み書きする”と記録し、また幕末期に来日したヴァーシリー・ゴローニンは“日本には読み書き出来ない人間や、祖国の法律を知らない人間は一人もゐない”と述べているほど日本の識字率は極めて高く、江戸時代に培われた高い識字率が明治期の発展につながったとされています。
この背景には“寺子屋”の存在が深く関係しています。
寺子屋とは江戸時代(1603年~1867年(諸説あり))に普及した、読み・書き・そろばんを教える庶民の教育機関で、幕府や藩の援助や介入のない独立運営でした。
古いものは室町時代後期にまで遡ることができると言われ、寺院における師弟教育から始まったことから“寺子屋”の名称が残ったと言われています。
その寺子屋の数は江戸末期には江戸府内でなんと4000カ所、日本全国では15,000~20,000程あったようです。
更に驚くのが江戸時代の就学率で、諸説ありますが70~86%(1850年頃:農村を含めた江戸府内)とされており、ちなみにイギリスの大工業都市で20~25%(1837年)、フランスでは1.4%(1793年初等教育は義務教育で無料)、モスクワで20%(1920年)というデータがあるようにいかに高い就学率を誇っていたかわかりますね。
この結果、幕末の成人男性の識字率も70%を超えており、同じ時期のロンドンの識字率は20%、パリでは10%未満となっていて寺子屋は世界でも類をみないほどの成果を挙げていたのです。
当時の寺子屋というシステムがあったからこそ、近代日本の発展があったといえるかもしれませんね。
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