湖池屋ポテトチップスの日
「湖池屋ポテトチップスの日」は1962(昭和37)年8月23日にコイケヤポテトチップスのり塩が発売された日であることが由来で、株式会社湖池屋が制定しました。
最初のポテトチップスは客への嫌がらせで出されたものだった
“ポテトチップス”とは、ジャガイモを薄切りにして冷水で短時間さらした後、高温の油で軽く色づくまで揚げ、それを塩や香辛料で味付けしたスナック菓子のことです。
最初のポテトチップスは意外な形で登場しました。
最初のポテトチップスはアメリカ合衆国ニューヨーク州サラトガ・スプリングズのレストラン Moon Lake Lodge のシェフ、ジョージ・クラムによって1853年8月24日に発明された、という説が有力です。
ある日、クラムの客(一説によればアメリカ屈指の大富豪コーネリアス・ヴァンダービルトとされている)が、フライドポテトが厚すぎると苦情を言って、何度も作り直しをさせました。
うんざりしたクラムはフォークで刺せないような薄切りにしてカリカリに揚げ、客を困らせてやろうと考えましたが、クラムの企ては失敗しこの客は逆に大変に喜んだとされています。
この料理はすぐに“サラトガ・チップス(Saratoga Chips)”という名でレストランのメニューに登場し、その後すぐにこの料理はニューイングランド地方でごく一般的なものになりました。
このようにもともとポテトチップスは料理の付け合せなど食事の一部として提供されるものであり、そのときの製法はケトルフライ(釜揚げ)法といわれています。
1900年代になるとアメリカでは多くのポテトチップス製造業者が誕生し、食料品店などで樽や瓶に入ったポテトチップスが量り売りされるようになっていきました。
この販売方法ではポテトチップスがすぐに湿気ってしまう問題がありましたが、1920年代にワックスペーパーで密封した小袋入りの鮮度を保ったポテトチップスが販売されるようになります。
1950年代にはTayto社がポテトチップスの製造工程で味付けする技術を発明し、世界初の味付けポテトチップが販売されました。
日本でポテトチップスといえば、カルビーを思い浮かべる人が多いと思いますが、実はカルビーが日本で最初ではありません。
アメリカ生まれのスナック菓子ですが、これを日本に持ち込んだのは“ポテトチップスの父”と呼ばれる浜田音四朗という人物です。
浜田音四朗は明治44(1911)年11月生まれの和歌山県出身で、昭和の初めに外航船の船員になり、太平洋戦争中には日系人収容所に入れられていたが1946年に帰国しました。
浜田音四朗は戦前にハワイでポテトチップスの製造に関わっており、終戦後に日本に移住、昭和20年代に工場を設立しポテトチップスの製造を始めました。
これが日本の最初のポテトチップスである“フラ印のポテトチップス”です。
当初は米軍を主な販路にしていましたが、営業努力により昭和27年頃からは日本人にも受け入れられるようになってきたといいます。
やがてポテトチップスは多数のメーカーが作り始め日本でも親しまれるようになりましたが、ポテトチップスの普及を望んでいた浜田音四朗はあえて特許を出願せず、逆に製法を他社にも広めていきました。
フラ印のポテトチップスが日本初のブランドだと言われていますが、この頃のポテトチップスはそのほとんどが手作りで、スナックやバーなどでしかお目にかかれない高級で珍しいものでした。
その後、湖池屋の創業者である小池和夫が初めて食べたポテトチップスに感動し、多くの人に広めたいと試行錯誤を繰り返して完成・量産化したのものが“コイケヤポテトチップス のり塩”になります。
つまり現在よくみるタイプのポテトチップスの元祖は湖池屋のポテトチップスなのでした。
近年では様々なフレーバーが登場し、国民に愛されるスナック菓子ですが食べ過ぎは当然体に悪いので注意しましょう。
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